「関取になるまでパスポートを取り上げられていた」 琴欧洲が明かす相撲部屋の過酷な慣習(小林信也)

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実家をリフォーム

 地獄から天国。その道のりは決して容易(たやす)くなかった。

「入門したころ、序二段とは五分に勝負できた。三段目の力士には壁まで飛ばされて、話にならなかった。幕下、十両の力士は雲の上の存在だった」

 大相撲のレベルはそれくらい高かった。しかも相撲は教えてもらえなかった。

「先代は新三役でケガをして十両まで落ちた。それから押し相撲に変えて、32歳で横綱になった。だから、どの力士に対しても教えはひとつ。“ぶちかませー! 押せ、前に出ろ!”、背の高い私に合う相撲じゃない。だけど、伝わってきたんですね、師匠の熱が」

 熱い魂を注がれて、琴欧州(後の琴欧洲)はわずか8場所で関取昇進を果たした。新十両で10勝5敗と勝ち越し、初めての給料をもらった。約100万円。手取り八十数万円。それを携えブルガリアに帰省し、実家をリフォームした。

「関取になって初めて相撲が楽しくなった。十両になるまでは忙しい生活で相撲がメインじゃなかった。相撲に打ち込めるようになって身体がどんどん大きくなった。どれだけ強くなったか本場所で試したい。すごくワクワクしてた」

 当時最強、24連勝中だった朝青龍にも土をつけた。

「その後が怖かった。夏巡業で『お前、わかってるな』って睨まれて、さんざん可愛がられた。それで強くなった。そこで逃げていると強くなれない」

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