MVP大谷翔平 リトル時代の恩師が語る“変化と成長” 小6で見せた逆方向本塁打の原点

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 大谷翔平が満票でアメリカン・リーグMVP(最優秀選手賞)に輝いた。日本人のMVPはイチローに次いで2人目、満票での受賞は初の快挙だ。渡米4年目で大谷は目標と語っていた「メジャー・リーグで一番の選手になる」という目標を達成したと言ってもいいだろう。何しろ、メジャー契約をしている選手がア・リーグ15球団で各40人、計600人もいる中で「最優秀選手」に選ばれたのだ。

 受賞が決まった後、私は大谷翔平が少年時代に野球をしていた「水沢リトル」の浅利昭治総監督(当時)に電話を入れた。9時ころから9時半まで、ずっと話し中でつながらない。ようやく、電話の向こうから浅利の弾んだ声が聞こえた。

「満票と聞いた瞬間に涙が出ました。アメリカの人たちにも認めてもらえた、感謝しかありませんね」

 仕事をリタイアした浅利にとって、大谷が出場するメジャー・リーグ中継は何よりの楽しみ、励みになっている。

「もう毎日、翔平の試合を見ています。メジャー・リーグに行ってからずっとですね」

大谷の打撃を変えたひと言

 うれしそうに笑う浅利は、「日本一の翔平ウォッチャー」と言ってもいいだろう。何しろ、大谷が小学校2年の時に水沢リトルで野球を始めた最初から、リトルを卒業する中学1年まで翔平に寄り添い、成長を見守ってきた。私は浅利から話を聞き、大谷が少年時代どのように野球と向き合い、どんな成長曲線を描いて次のステップに進んだのかを中心に『大谷翔平「二刀流」の軌跡』という本を書いた。

 浅利の回想で最も印象的なもののひとつは、浅利が思わず叫んだひと言が大谷の打撃を変えたという逸話だ。小学校6年になると翔平は信じられほどの長打力を身につけ、打撃練習で次々にライト・フェンス越えを連発する。水沢リトルの練習場のライト後方には川があって、翔平が打つたび硬球が水に濡れ、通常の練習には使えなくなる。普段は温厚な浅利がついに声を上げた。

「翔平、引っ張り禁止だ! 全部、左方向に打て!」

 打席の中の翔平は珍しくムッとした後、左中間に打ち始めた。

「それも単なる流し打ちじゃなくてね。左方向のフェンスを越えようという打ち方だった。だんだん、柵を越えるようになってね。それが、プロに入ってからも翔平の代名詞みたいになっている反対方向へのホームランのルーツになったと私は思うんです」

 大谷が左中間方向に飛ばす打球は、流し打ちで切れて行くのでなく、勢いよく伸びて行く、きっちりとしたホームラン・ボールだ。だが、今季の大谷の打撃は「明らかに変わった」と浅利は言う。

「去年まではね、まあ、私が知っている翔平のバッティングだったけれども、今年に入って明らかに変わりました。おっと思ったのは、6月末のヤンキース戦、1試合に2本ホームランを打った日の2本目です。インコースの高め、あごくらいの高さのボールをガツンと引っ張ってホームランにしたでしょう。『覚悟を決めたなあ』と私は思いました。

 去年はあれだけインコースを攻められて打てなくて苦労して。オフの間にウエイト・トレーニングだとか、スイングの調整だとか、やったんでしょうねえ。あんなに引っ張れるようになるとは驚きました」

 6月30日のヤンキース戦、3試合連続となる27号ソロをセンターに打ち込んだ次の打席、ライトのポール近くに打った28号のことだ。大谷は、6年生の時、浅利に命じられた「引っ張り禁止」の呪縛から放たれるように、今季、豪快な引っ張りも披露してホームランを重ねた。シーズン46本。ゲレーロJr,とペレス(ロイヤルズ)の48本に及ばず、残念ながら3位にとどまった。

「ホームラン王は獲ってほしかったけど、世界一を争ったアストロズが翔平を1試合に4回も敬遠した。『お願いですから1塁に歩いてください』って、チャンピオンが土下座して頭を下げたようなもんでしょ」

 浅利が言うのは、9月22日のアストロズ戦。大谷は2つの申告敬遠を含む4四球でなかなか打たせてもらえなかった。優勝を争うアストロズは、勝負して大谷に打たれるわけにはいかなかったのだ。

「あれがなければ。あと2、3本は打ってもおかしくなかったよ。だからね、実際はホームラン王を獲ったも同然だと、私は思っているんです」

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