辻立ち1600回“打倒安住”を誓って…元タレント・森下千里氏が明かす“敗北の涙とこれから”
衆院選から3週間。敗者たちの次に向けた戦いは、すでに始まっている。「安住王国」と呼ばれる宮城5区で、立憲民主党の安住淳氏に挑み落選した元グラビアタレントの森下千里氏(40)もその一人。地元は早々に支部長再任を決め、森下氏は辻立ちを再開している。なぜ彼女は華やかな芸能界を去り、茨の道を進もうと思ったのか――。宮城県石巻市の事務所で話を聞いた。
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【写真12枚】グラビアタレント時代とは打って変った地味な出で立ちでインタビューを受ける森下氏
グラビア女王と呼ばれていた頃
紺のスーツに第一ボタンまで留めた白のワイシャツ。これが今の彼女の“戦闘服”である。薄化粧でマニキュアもせず。胸の谷間を強調し、扇情的なポーズを取っていたグラビアアイドル時代の面影は微塵もない。
「実は自分では、そんなにギャップを感じていないんです。グラビアの仕事は、乗りかかった船みたいなノリでやっていた。ちょっと生意気な言い方になってしまいますが、あくまで自分は被写体という一つの役割に過ぎず、カメラマンさん始めスタッフみんなで作り上げた作品に過ぎないと思っていたんです。だから、あの頃のイメージは本当の私とはちょっと違うかなと」
10代の後半から始めたレースクイーンを経て芸能界入り。一時はグラビア女王としてバラエティ番組などに多数出演していたが、
「そんなに芸能界に染まっていたわけではないんですよ。もともと一からすべてに関わっていきたいってタイプ。台本を渡されて、“はい、ここお願いします”という立ち位置から脱したいと思いながら働いていました。それで30代になってから、起業家を志すようになったのです」
翌日には新幹線に飛び乗り……
16年に会社を設立。趣味のゴルフのブランドを立ち上げ、ジム経営などに乗り出した。その頃から経営について勉強も始めたという。
「ファナンスを勉強したかったので、日経新聞を購読。本もよく読むようになり、経営者の友人とも交流を深めました。会社経営も楽しかったのですが、本当にやりたいことって何だろうと突き詰めて考えた時に、やっぱり政治家じゃないかと思い始めた。原点は東日本大震災で経験したボランティアです。被災地で大変な思いをしている方々のお手伝いをさせていただきながら、人々の暮らしに役立てるような仕事をしたいという思いを、ずっと胸に秘めていたのです」
今年初め、知人から宮城5区で自民党の公募があると聞いた時は、二つ返事で「行きます」。翌日には新幹線に飛び乗った。同区は安住淳氏が9連勝中の選挙区で、落下傘の新人候補が挑むには厳しすぎる土地だ。
「はたから見れば、無謀すぎる挑戦だったかもしれません。でも、あの頃は自分の思いを伝えるのに必死で、そんなことは考えなかった。こちらに越してきたのは4月。最初の1カ月は、たった一人で事務所開設の準備に追われながら過ぎていきました」
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