日本各地で鉄道事業を起こした渋沢栄一 「青天を衝け」で描かれなかった3人の鉄道人たち

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 渋沢栄一を主人公とするNHK大河ドラマ「青天を衝け」が、佳境を迎えている。

 前作の大河ドラマ「麒麟がくる」は、新型コロナウイルスの影響で完結が今年までズレ込んだ。「青天を衝け」は、その余波で放送開始が2月に遅らせられたほか、今年は東京五輪による放送休止もあった。

 放送回が減ったことも大きいが、視聴習慣が乱れるというハンデを負った。それでも、主役・吉沢亮さんをはじめとする俳優たちの好演、脚本家・大森美香さんの巧みなストーリーテリングによって視聴率は好調をキープ。評判もいい。

 10月3日に放送された第29回「栄一、改正する」では郵便が誕生するまでの悪戦苦闘が、まるまる一話を使って描かれた。同回は、従来の大河ドラマでは考えられないような全体的にほのぼの感が漂う内容だったが、これもおおむね好評に受け止められている。

 渋沢は生涯に約500社の企業を興したほか、約600の非営利事業にも取り組んだ。一般的に“資本主義の父”と呼ばれる渋沢だが、作中では「合本(がっぽん)」を盛んに口にし、これまでの資本主義を完全に肯定するようなストーリー構成にはなっていない。これも、従来の渋沢像を覆す描き方といえるだろう。

 渋沢が興した約500社の営利企業のうち、数が多いのは渋沢の本丸ともいえる銀行業、そして生活インフラとして現代では欠かせない電気・ガス事業が次いで多くを占める。

 渋沢が取り組んだ事業で、意外に触れられていないのが鉄道事業だ。渋沢が関わった鉄道事業の多くは、1906年に公布された鉄道国有法によって政府に買収された。以降、それらの鉄道路線は官営となり、国鉄を経て現在はJRの路線となっている。そのため、渋沢には鉄道事業のイメージは強くない。

日本初の鉄道に乗車

 しかし、1872年に新橋(後の汐留)駅-横浜(現・桜木町)間で日本初の鉄道が開業した当時、渋沢は大蔵省の責任者として記念の一番列車の6号車に乗車している。

 その後に渋沢は民間に転じるが、財政に窮した政府に代わって鉄道事業を円滑に運営することを模索。渋沢は新橋-横浜間を民間に払い下げるよう働きかけている。この払い下げは成功しなかったが、民間が鉄道をつくるという考え方は変わらず、1881年に日本鉄道を設立。同社は1883年に上野駅-熊谷駅を開業させて、順調に東北・北関東へと線路を拡大していった。

 それらを皮切りに、渋沢は北は北海道から南は九州まで鉄道事業を成り立たせるために奔走した。それだけに、渋沢を語る上で鉄道事業は避けて通れない。

 そうした背景から、「青天を衝け」の作中で鉄道事業についてどう描かれるのか? は鉄道ファンの間で注目が集まっていた。

 なにせ郵便事業にはまるまる一話を割いたのだ。鉄道開業でも一話を割いて描いても不思議ではない。初開業のエピソードだけではなく、たびたび鉄道の話題が出てくるのではないか? そんな期待が膨らむ中、鉄道初開業は描かれることなくストーリーは進んでいる。

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