即刻2軍落ちのイチロー、江夏豊、今岡誠…監督に干された男たちの“数奇な運命”

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振り子打法を嫌ったから?

 どんなに実力のある選手でも、試合に使ってもらわなければ、結果を出すことができない。そして、選手を起用するのは監督だ。指揮官と良好な関係を築けなかったため、不遇のシーズンを送る羽目になった選手も少なくないのが現実だ。そんな“監督に干された男たち”を振り返ってみよう。

 監督に干された選手といえば、オリックス2年目のイチロー(当時は本名の鈴木一朗)を連想する人も多いはずだ。土井正三監督時代の1993年に打率.188と伸び悩んだイチローは、仰木彬に監督が交代した翌年、打率.385で首位打者を獲得し、一躍トップスターになった。以来、「土井監督はイチローの才能を見抜けなかった」「振り子打法を嫌って2軍に落とした」といった話が流布されるようになった。

 だが、これらは物事の表面だけを捉えた“創作”であり、土井監督は19歳のイチローがまだプロの体になっていなかったことを2軍に置いた最大の理由に挙げていた。

 また、当時のオリックスは、高橋智や藤井康雄、タイゲイニーら外野陣の層が厚く、“5番目の外野手”イチローは、代打や守備固めなど出番が限定されたため、「1軍のベンチに置くより、2軍で4打席を与えたかった」と考えたのだという。

「何くそ」と奮起したから

 そんななかで、懲罰的な降格も一度あった。4月24日のダイエー戦、イチローがノーサインで盗塁を試み、タッチアウトになると、土井監督は即刻2軍落ちを命じた。

 巨人時代の恩師・川上哲治監督が、初歩的なミスを犯した新人の高田繁を「あのままでは野球をなめてしまう」と心を鬼にして2軍に落とした教育法を踏襲し、「今がそのとき」と決断したのだが、「僕は最近の教育のように細かく説明して納得させるようなことはしなかった。だから、イチローも頭に来たと思う」(週刊ポスト2007年8月31日号)と言葉不足だったことも認めている。

 だが、イチローは認められない悔しさをバネに、ウエスタン新記録の30試合連続安打を達成するなど、2軍で大きく成長。「干された」と不貞腐れることなく、「何くそ」と奮起したことが、3年目に大輪の花を咲かせた。

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