わざと猫に食べられに行く!? ネズミを大胆不敵にさせる「寄生虫」の正体【戦慄の寄生虫】
ゴキブリを奴隷のように支配したり、泳げないカマキリを入水自殺させたり――、あなたはそんな恐ろしい生物をご存じだろうか。
「寄生生物」と呼ばれる彼らが、ある時は自分より大きな宿主を手玉に取り翻弄して死に至らしめ、またある時は相手を洗脳して自在に操る様は、まさに「えげつない!」。
そんな寄生者たちの生存戦略を共生細菌、感染症、ワクチンの研究を行ってきた理学博士の成田聡子氏が執筆した『えげつない! 寄生生物』(成田聡子・著)からご紹介する。
猫を怖がらないネズミを作る寄生虫――あるネズミの物語
***
僕たちネズミは、君たち人間にはあまり人気はないみたいだね。
まぁ、嫌われる理由もわからなくはないよ。
寒い時は君たちの屋根裏にお邪魔したり、そこでメスが子ネズミをたくさん産んだりするからね。
生きていくためには食べ物だって必要だから、君たちの台所からちょっと拝借する時もある。
僕たちは1日に体重の3分の1の量の食料を食べないと生きていけないから、けっこう大食いなんだけど、君たちが持っている大量の食料からすれば大したことはないんじゃない?
僕たちから見たら君たち人間は巨人だよ。だって、僕たちの300倍以上の重さじゃないか。自分たちの300倍の大きさの生物って想像つくかい?
そうか、今の地球の陸上では人間の300倍の生物なんていないね。
陸上ではゾウが最大でも10トンだから、君たち人間の150倍くらいか。
つまり僕が言いたいのは、僕たちから見た人間っていうのはとんでもなく巨大で恐ろしい生物だってことで、それはわかってほしい。
そんな巨大な君たちの家のほんのちょっとの隙間に住まわせてもらっているだけなんだから、君たちももう少し寛容になってほしいと思う時もあるよ。
君たちは僕たちの走る足音や臭いなんかが我慢できないといって、毒エサを撒いたり、罠を仕掛けたりするよね。だけど、そうやって僕たちを追い出そうとしてもあまり効果はないよ。
だって僕たちネズミはね、人間が持っていないような能力をたくさん持っていて、危険を回避しているからね。
まず、僕たちは耳がとてもいい。
この耳のおかげで危険を予測して逃げたり、エサを捕獲したりできる。
それに君たちが聞こえないような超音波が聞き取れるから、普段の会話は超音波でしているよ。だから、足音は聞こえるのに、鳴き声はほとんど聞いたことがないだろう?
すごいのは耳だけじゃない、味覚も嗅覚も君たちよりずっと優れている。
だから、毒エサなんて、僕たちにすぐ見破られてしまうってわけだよ。
それでも、あの手この手で、僕たちを殺したり追い出そうとする君たち人間も嫌な奴らだけど、猫って奴も嫌いだね。
ある意味では人間たちより手ごわい。
奴らは運動能力抜群の生来のハンターで、耳だっていい。だから、見つかったら最後、運よく狭い隙間などに逃げ込まない限り、覚悟しないといけない。
猫って奴は、体臭が本当に少ないけど、その尿には強い臭いがある。
だから、僕たちの優れた嗅覚を使って猫の尿の臭いがある場所には絶対近付かないようにいつも警戒している。それが結果的に命を守ることになるからね。
それなのに、ときどき仲間の中におかしな奴がいて、酔っ払いみたいにフラフラして、動きも鈍い。
しかも、そういう奴に限って、
「俺様はネズミだ! 猫なんて怖くないんだ」
なんて、豪語して、猫の尿の臭いのする猫のテリトリーにまで踏み込んでしまう。
そういう奴の末路は、言わなくてもわかるだろう。
もちろん、二度と戻ってくることはないよ。
***
わざと宿敵に食べられるようしむける高度な感染方法
我々人間も寄生生物と無縁ではありません。まずは「トキソプラズマ」についてお話ししましょう。
タタタタタッ。タタタタタッ。
屋根裏に小動物の駆け回る音がしたかと思うと、次の日にはネズミ特有の強烈な糞尿の臭いが部屋に広がっています。毒エサを撒いたり、ネズミの嫌いな超音波を出す機械を屋根裏に置いたり、ネズミの侵入経路を塞いだり、燻蒸したり……そんな数々の対策も空しく、夜な夜な走る音と、強烈な悪臭に悩まされる。そんな経験をされた方は私以外にもいらっしゃるかもしれません。
ネズミは体こそ小さいですが、その優れた能力によって人間の仕掛けた罠をくぐりぬけ、悠々と人様の家の屋根裏に住み続けたりすることができます。ネズミの行動を変えてしまう寄生虫の話の前に、ネズミの驚くべき能力をご紹介しましょう。
ネズミは犬や猫よりも聴覚が優れているといわれており、超音波といわれる2万ヘルツ以上の周波数も聞き取れるそうです。この優れた聴覚によって、さまざまな種類の音を聞き分け、危険を予測し回避しているのです。そのネズミの聴覚を利用したものが超音波ネズミ撃退器として売られています。ネズミにとってはうるさいと感じる超音波を終始発して、家からネズミを追い払うという仕掛けです。
また、ネズミの体毛とヒゲは、周囲の振動や障害物を敏感に察知することができ、すばやくその場から避難して身を守ります。ネズミを捕獲するための粘着シートもありますが、ヒゲで素早く感知して退避されてしまいます。
ネズミは味覚と嗅覚も優れており、毒の入ったエサを仕掛けても、味や匂いで察知してそのエサは食べないといった習性もあります。また、匂いを感じる嗅覚受容体が、千種類以上もあるといわれており、少なくとも人間の3倍近くの嗅覚能力が備わっています。
このように聴覚、触覚、味覚、嗅覚に優れ、警戒心がとても強いネズミがある寄生虫によって、行動が変化させられてしまうことが知られています。その寄生虫が「トキソプラズマ」という極小の微生物です。
ネズミにも猫にも人間にも感染するトキソプラズマ
トキソプラズマとは、アピコンプレックス門コクシジウム綱に属する寄生性原生生物の一種です。幅2~3マイクロメートル、長さ4~7マイクロメートルの半月形の単細胞生物で、人間やネズミを含むほぼ全ての哺乳類・鳥類に寄生してトキソプラズマ症を引き起こします。
この寄生虫はネズミにも猫にも人間にも感染することがありますが、人から人に感染することはありません。人間が感染するのはトキソプラズマのシスト(膜で包まれた休眠中の原虫)で汚染された動物の生肉を食べた場合と、感染猫のフンやそれが混ざった土などと接触した後に経口感染した場合です。
口から入ったトキソプラズマは、消化管壁から細胞内に侵入すると分裂を行いながら活発に増殖します。体内に侵入された人の体もトキソプラズマを排除するため、免疫応答を開始します。すると、トキソプラズマは中枢神経系や筋肉内で組織シストと呼ばれる形態になります。組織シストは安定した壁に覆われているため、免疫系の攻撃を受けずに生存を続けることができるのです。
しかし、トキソプラズマに感染したとしても健康な人であれば症状は出ないか、出たとしても、かぜのような軽い症状だといわれています。唯一問題となるのは、妊娠中に初めて感染した場合で、トキソプラズマが胎盤を通過し胎児に移行して、胎児が感染すると、脳や目に障害が出ることがあります。
世界では3分の1もの人がこの寄生虫に感染しており、日本では約10パーセントの人が感染しているといわれています。
ほぼ全ての哺乳類・鳥類が感染するトキソプラズマですが、それらは中間宿主であり、最終的に到達して生殖をおこなうことができる終宿主は1種です。その生物とは猫です。つまり、猫への移動手段として人やネズミなどの哺乳類を媒介に用いているのです。
ネズミの行動を操作して猫に食べられやすくする?
トキソプラズマは人間やネズミなどの中間宿主の体内で生育が終わって生殖をおこなえる段階になると、終宿主である猫に移動して、有性生殖をおこないます。つまり、成長段階に合わせて、寄生する宿主を替えなければ成長したり、繁殖したりできません。
そのため、トキソプラズマは成長期に体内でお世話になった中間宿主であるネズミから猫の体内に移動するため、感染したネズミが猫に食べられやすくなるように行動を変化させているのです。
これまでの研究では、トキソプラズマに感染したネズミは、猫に食べられやすいように反応時間が遅くなり、猫の尿の臭いに誘われるようにして徘徊し、無気力になり危険を恐れなくなることが知られています。
最近まで、なぜネズミの行動がこのように変化するのかは謎とされてきましたが、2009年にイギリスの研究チームがこの謎を解く手がかりを発表しました。
トキソプラズマのDNAを解析した結果、トキソプラズマには脳内物質のドーパミンの合成に関与する酵素の遺伝子があることを突き止めたのです。ドーパミンとは快楽ホルモンと呼ばれるほど快楽、探索心、冒険心に強く影響する脳内物質です。
つまり、この原虫に寄生されたネズミはドーパミンを分泌するため、恐怖がなくなり、自信と冒険心をもって行動し、猫を恐れず大胆不敵に行動するようになったと考えられています。
脳に侵入するトキソプラズマ
トキソプラズマがどのようにしてネズミの行動を操作しているかについては、さらに研究が進められ、宿主の免疫細胞に乗って、宿主の脳内に移動しているということがわかりました。
先に説明したように、トキソプラズマは経口摂取によって感染が起こります。宿主側もただ侵入を許すわけではなく、通常、口から侵入した寄生虫や病原菌は宿主の免疫機構によってすぐに排除され、感染が全身に広がらないようにします。しかし、トキソプラズマは、宿主の口から侵入し、全身に広がり、脳を乗っ取るのです。
実は脳にまで達する寄生虫や病原菌というのはとても稀です。脳は動物にとって中枢であり、大変大切な部分であるため、脳を守るために血液脳関門という脳のバリアーがあるからです。
脳以外の毛細血管では、細胞同士の間に大きな隙間があり、大きな分子も通過できますが、脳の毛細血管は内側の細胞がギッシリ並んで隙間がなく、アミノ酸・糖・カフェイン・ニコチン・アルコールなど一部の物質しか通さない機構が備わっています。そうして、大きな分子、病原菌、寄生虫などの有害物質から脳を守っているのです。
しかし、トキソプラズマは脳に侵入することが可能です。その方法の全貌はまだ明らかになってはいませんが、その一部が12年、スウェーデンのカロリンスカ研究所感染症学センターに所属する研究者、アントニオ・バラガン氏のチームによって示されました。
この研究チームがトキソプラズマに感染している実験用マウスを調べたところ、寄生虫などを攻撃して殺すはずの免疫細胞内にトキソプラズマが生息していることを発見しました。この免疫細胞は血液中の白血球の一種で、樹木に似た形状から“樹状細胞”と呼ばれています。樹状細胞は通常は免疫系の門番としての役目を果たしています。しかし、トキソプラズマは、本来寄生虫を排除する機能を持つ免疫細胞を使って宿主の体内を移動し、ついには宿主の脳にまで到達していました。しかし、どのようにして免疫細胞を乗り物にしていたのでしょうか。
免疫細胞は刺激を受けない限り動きません。トキソプラズマが操縦できるわけでもなく、樹状細胞は感染していることにさえ気づいておらず、静かにしています。では、何が樹状細胞を動かしていたのでしょうか。
研究チームが詳しく調べた結果、GABA(ガンマアミノ酪酸)という脳内物質が関係している証拠が得られました。GABAはブレーキの役割を果たす抑制性の神経伝達物質として、多くの脳機能に関わっている物質です。
某大手の菓子メーカーから同名の商品が発売されており、GABAを含んでいるそのチョコレートを食べると心が落ち着き、抗ストレス効果、リラックス効果があると宣伝されています。しかし、口から摂取するGABAは脳に直接は作用しません。脳の毛細血管に存在する血液脳関門をGABAは通過できないからです。
先に述べたように、脳内に侵入するには血液脳関門を通り抜けなければなりませんが、口から摂取するGABAは分子量が大きすぎて通り抜けることができません。脳内に存在するGABAは、血液脳関門を通過できるアミノ酸の一種、グルタミンなどから脳内で合成されているものなのです。
話が少し逸れましたが、トキソプラズマに感染した宿主の樹状細胞からはこの脳内物質であるGABAが見つかりました。つまり、樹状細胞がトキソプラズマに感染すると、樹状細胞がGABAを分泌し、それが同じ樹状細胞の外側にあるGABA受容体を刺激し、トキソプラズマに感染した細胞の移動能力が活性化されることが、培養細胞を使った実験で明らかになりました。一方、薬剤によってGABAの産生を抑制すると、トキソプラズマに感染した樹状細胞の移動能力は高まらず、その結果、脳へ侵入するトキソプラズマの量も減少することがわかりました。
これらの結果から、トキソプラズマは感染した樹状細胞にGABAを強制的に作らせ、GABAによって全身への移動が可能になり、脳に達し、脳を操るという可能性が示唆されました。
GABAは抑制性の神経伝達物質であるため、GABAの量が増えると、リラックスし、恐怖感や不安感が低下する。トキソプラズマに感染すると宿主の恐怖感が減少する理由の一つとして、感染した免疫細胞が脳内へ移動しGABAの濃度が高まるためと考えられています。
このように、目に見えないほど小さな微生物であるトキソプラズマは宿主の行動変化をおこさせ、自分に都合の良いように操るという非常に高度な技をもっています。実はこの行動操作はネズミだけではなく、人間にさえ起きているようなのです。