コロナ禍で学者の横暴を許した政治 激論が起こらないのが問題(古市憲寿)

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 映画「シン・ゴジラ」では、学者の無能ぶりが喜劇的に描かれていた。謎の水生生物(ゴジラ)が東京湾に出現し、生物学の有識者が首相官邸に呼ばれる。しかし緊急会議において、彼らは「現物を調査しないと何も言えません」「実証もなく憶測で判断してはもはや生物学とは言えん」と、何も断言せずに、のらりくらりとかわすだけだ。

 しかし現実に起こったことと比べれば、彼らの態度はマシだったのかもしれない。学者としての領分を守り、軽々しく危機を煽ったりはしなかったからだ。

 新型コロナウイルスを巡る騒動では、政府の有識者やテレビに出演した専門家たちが、大した実証もなく憶測で物事を語り、世の中を大いに混乱させた。

 ただし「有識者」や「専門家」だけを責めても仕方がない。何よりも問題だったのは、結果的に彼らの好き勝手を許してしまった政治である。

 歴史に学ぶならば、もっと方法はあったはずだ。たとえばルーズベルト大統領のブレーントラストなどは、もっと顧みられてもよかったのかもしれない。

 ルーズベルトは、アメリカ史上、唯一4選された大統領である。世界恐慌と大戦を乗り切った「偉大な大統領」として記憶されている。だが興味深いことに、彼が政治家を志したのはただの偶然からだった。元々は実現したい政策など何もなかった。お坊ちゃまで、赤いオープンカーを使った選挙活動で人気を博した。

 それゆえ柔軟な政治家になれたのかもしれないが、重要な役割を果たしたのはブレーントラストと呼ばれるアドバイザー組織だ。そこでは、さまざまな政策課題について、政治家や学者に意見を戦わさせ、あらゆる見解を提出させた。その上でルーズベルトが最終的な決断を下したわけである(佐藤千登勢『フランクリン・ローズヴェルト』)。

 日本政府の有識者会議は、意見を戦わさせ、複数の見解を出させるという機能が弱い。あらかじめ何となくの結論が決まっていて、有識者はお墨付きを与えるだけ、という会議が多い。もしくは、事実上の雑談に終始し、何の成果も生み出さない会議も珍しくない。僕自身、何度も政府系の会議に出てきたが、いつも徒労感ばかりが残る。例外はあるが、箔を付けたい中途半端な起業家や学者、半ば引退している偉いおじいちゃんの演説の場に成り果てている。

 平時なら構わないが、有事でそれは困る。特にパンデミックという未曾有の事態において、本来なら政府に呼ばれる有識者が一枚岩ではおかしいのだ。複数の分野から学者を呼び、多様な激論をさせるべきだった。そうすれば、仮説を提示する学者と、決断して実行する政治家という役割分担もクリアになっただろう。

 これからの時代が、平穏無事に過ぎていくとは思えない。正しい答えは事後的にしかわからないが、複数の仮説を提示することなら有事の最中にもできる。議論が紛糾する有識者会議が増えますように。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2021年11月18日号掲載

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