機能不全家族に育った四十路男 不倫を繰り返し、自分の家庭も壊して初めて分かった“呪い”
すべてを話した時、妻は
3年前、母が過労のあまり倒れて入院、すでに末期の膵臓がんだと知らされた。家庭が崩壊し、息子に去られた母は仕事をするしかなかったのだろう。狭い会社内で権力を手にしたが、母は人として幸せだったのだろうかと知晴さんは考え続けた。
「末期がん宣告から3ヶ月で母は逝きました。同時期、行方不明だった父が亡くなったと、ある自治体から知らせがあった。あんなに不仲だったのに、同じ頃に亡くなるなんて皮肉なのか縁なのか。いずれにしてもこれで本当に家族はバラバラになり、家庭はなくなった。そのとき、ようやくあらゆることから解放されたという思いも湧き起こってきた。世の中に生まれ直したような気持ちでしたね」
妻にすべて話した。自分の生まれ育った家庭のことも、結婚生活において自分がしてしまったことも。真由美さんはただ黙って耳を傾けてくれた。
「あなたがつきあっている人から、うちに電話がかかってきたこともある。相当派手に遊んでいるという噂も耳に入ってきていた。でも私はいつかあなたが、何かの呪縛から自由になる日がくると信じていたと、妻は言いました。『あなたが生きることに苦しんでいることだけはわかってたよ』と言われて号泣しましたね。自分をいちばんわかってくれていたのは妻だったんです」
だが、真由美さんはそのまま彼を受け入れてはくれなかった。「私も疲れた」とぽつりと言ったのだ。それまでどれだけ妻を心配させていたのか、知晴さんは初めて知った。
人生の再スタートを切りたい
「真由美の希望は同居の解消でした。母の死は僕を解放したけど、妻からの三行半は突き放されたような気持ちになった。オレを見捨てないでほしいと言いましたが、妻は『私は少し離れていたい』と。親戚と話し合って、遺産として、母が晩年に購入した小さなマンションだけもらったんですよ。だから僕はそこへ移りました。母が暮らしていたマンションは、母の匂いに満ちていた。最初は具合が悪くなったりしましたけど、どんなに恨んでも呪っても、もうこの世にいない人ですからね。そうやって暮らしているうちに母には母の“思い”みたいなものがあったんだろうとわかってきた。小さい頃の僕のアルバムも母は大事にとっていたんですよ。自分がなぜ母から逃げていたのかわからなくなりました」
何を聞きたくても、もう両親はいない。自分にとっての家族は、妻と子どもたちだけなのだ。別居から3年、彼は週末、自宅に戻るようになった。そのたびに妻や子どもたちと夜遅くまで話をする。娘は16歳、双子は13歳となり、家族で話すのが今はいちばん楽しいと彼は言う。
「以前は妻に許しを乞うことばかり考えていましたが、今はこの先、子どもたちがどういう人生を歩もうとしているのか、妻は今、何を思うのかに関心があります。やっと自分以外の人間に目がいくようになった気がするんです。すべてを懺悔して、ここから人生の再スタートを切りたい。そんな気がしています」
いつか妻子と同居するかどうかはわからないが、今はこの距離感が家族にとっていちばんいいのかもしれない。たくさん傷つき、たくさん人を傷つけてきた彼が、迷いと苦悩のあげく、自身の言うとおりやっとフラットに人生を始める時期が来たということなのだろうか。
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