機能不全家族に育った四十路男 不倫を繰り返し、自分の家庭も壊して初めて分かった“呪い”

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 いけないとわかっていながらやめられない。現実逃避として不倫を選択せざるを得ない場合もあるだろう。人間は、いつも正しくいられるほど強くはない。

「話すことで自分を省みて懺悔したい」と連絡をくれた男性がいる。私に懺悔してもなんら救われはしないだろうが、話してくれるならぜひ聞きたい。そう思って会ったのは、吉岡知晴さん(40歳・仮名=以下同)だ。【亀山早苗/フリーライター】

 中肉中背、愛嬌のある笑顔が印象的な知晴さんだが、話をしている間、ときおりつらそうな表情を浮かべることがある。

 高校卒業後、専門学校に入学し、現在までエンジニアとして仕事をしている。結婚したのは24歳のとき。相手は専門学校を卒業したころ知り合った3歳年上の女性だった。

「早く結婚したかったんです。僕はちょっと変わった家庭で育ったので、早く結婚して、いわゆる身を固めて自分を制御したいと思っていた」

 母方の祖父は手広く会社経営をしていた人で、祖父は娘を溺愛して育てた。知晴さんの父は入り婿としてその家に迎えられたのだが、実際には母のほうが経営手腕があり、父は冷遇されていたという。

「でも祖父も母も世間体を気にしたんでしょう。離婚はしなかった。僕が知っている父は、パチンコに行ったり馬券を買ったりプラプラしていましたね。母は夜遅くまで専務として働いていた。物心ついたころから、僕はよく父に別宅に連れて行かれました。まあ、別宅だとわかったのはもっと大きくなってからですが。そこには3歳年下の“妹”もいました。一方で、母にも愛人がいた。母は若い男性を秘書にして連れ回していたようです。祖父もそのことはわかっていたけど見て見ぬふりをしていたみたい。でも会社の行事やイベントには夫婦で出かけていましたね。そんな仮面夫婦、偽装家庭で育ったんです」

父に感じた「情けなさ」

 それは少なからず彼の人格形成に影響を与えた。中学時代は「愛に飢えて」暴れたこともある。自分が何に飢えているのかわからない。だが家庭も学校も世の中も、何もかもがうっとうしくて嫌でたまらなかった。そのころには会社を継いだ母が社長になっており、火をつけてすべて燃やしたら、すっきりするだろうと思ったこともあるという。

「そんな僕を唯一かわいがってくれたのが、会社の工場で働いていた工場長でした。僕が荒れていた時期も、工場長は説教をしなかった。『自分を信じてがんばれ』と言ってくれたこともあった。荒れてはいたけど、彼のおかげでなんとか自分を保つことはできたと思っています」

 そのころ父は愛人と別れ、別の愛人の元に入り浸っていた。高校に入ったころ、そんな父を彼は「情けない」と思ったという。

「母のことが嫌なら離婚すればいい。離婚もせず、母と向き合おうともせず、お金だけもらって飼われているような立場で、他に女を作って甘えている。僕の目には父がそう映ったんです。こういう男にはなりたくないと思っていた。一方で母に対しても、若い男をとっかえひっかえしながら社長として君臨している嫌な女だと感じていました」

 家政婦を雇っていたから、食事や洗濯には困らなかった。ときには両親とともに食事をとることもあった。そんなときでも、彼らは別々に知晴さんに話しかけてきた。高校生にもなると、そんな両親と「適当に」会話をこなす術を身につけていたそうだ。

「高校を卒業したら家を出ると決めていたので、ここで争うだけ無意味だと思っていました。中学時代は荒れたけど、高校生になるとそんなことをしても自分の将来にいいことは何もないと考えたので、偽装家庭の一役を担っていると自覚するようになったんです」

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