共産党との関係を解消しない限り政権交代は不可能か 立民が支払った代償とは

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共産党との選挙協力で失ったもの

 それは虎の子の“野党共闘”も例外ではない。

 作家の佐藤優氏は次のように指摘する。

「結局のところ、立民は共産党との選挙協力について足し算だけを考え、引き算は頭になかった。1万~2万票とされる各小選挙区の共産票を取り込めると計算しながらも、それによって失うものの大きさを理解していませんでした。たとえば、立民最大の支持団体である連合傘下の組合の多くは、経団連に加盟する企業の組合なので共産党への忌避感が強い。共産系の民商・全商連と協力関係にない個人事業主らも、共産党と連携する立民を支持しなかったでしょう。さらに、公明党の支持母体である創価学会は、〈混ぜるな危険 立民共産〉をスローガンに、本腰を入れて自民候補の選挙運動を行いました。共産党と手を組むということは、これほどのリスクを伴う禁じ手だったのです」

 結果、立民が誇る二人の“無敗の男”にまで土をつける事態となったのである。

消えた“治外法権”

 まず取り上げたいのは中村喜四郎氏のケースだ。

 中村氏は1994年、ゼネコン汚職に絡んで逮捕される直前に自民党を離党。以降、一貫して無所属で当選を重ね、“日本一選挙に強い政治家”と称される。それゆえ、茨城7区での敗北には衝撃が走った。

「辛くも比例復活しましたが、無所属なら間違いなく小選挙区で勝てていた」

 地元支援者のひとりはそう言って肩を落とす。

「選挙前から喜四郎先生に逆風が吹いていたのは事実です。3年前の県議選で、先生の地盤である古河市選挙区から長男の勇太(はやと)さんが初当選を果たしたのですが、そのせいで先生を長年支え続けたベテラン県議が落選し、支援者の間に軋轢が生じてしまった。総選挙での古河市の得票数は自民の対抗馬に6千票以上も水をあけられています。加えて、もうひとつ大きかったのは公明票の存在です」

 実は、公明党は、無所属になってからも中村氏の選挙を支援し続けていた。

「茨城7区は自公の選挙協力の“治外法権”と呼ばれてね。公明の山口那津男代表が茨城出身で、喜四郎先生と同じ中学の後輩だったことも影響しているようです。ただ、喜四郎先生が立民入りして、しかも、仇敵である共産党と選挙協力するとなっては公明も推すわけにいかなかった。公明が自民候補を推薦したことで、古河市だけでも1万票以上が逃げたと思う」(同)

 6度目の対決で初めて勝利した自民の永岡桂子氏と、中村氏との総得票数差は僅か4千票弱。支援者が嘆くのも頷ける話である。

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