元公安警察官は見た 「國松長官狙撃事件」で公安部と刑事部が対立、その結果起きたこと
公安だけで事件を解決
「そこで、公安で元巡査長の事情聴取を行ったところ、國松長官を撃った、拳銃は神田川に捨てたと自供したのです。この情報は、公安内部だけに留め、警視庁刑事部や警察庁とは共有しませんでした。公安の捜査だけで事件を解決に導こうとしたわけです。これで捜査がおかしな方向へ行ってしまった。途中で捜査を止めることもできませんでした」
実際、公安部は警察庁や警視庁刑事部に元巡査長の供述を5カ月間報告しなかったという。
「元巡査長の供述は矛盾が多かった。供述も二転三転として、証拠固めが困難となりました。最初から刑事部と情報を共有していれば、結果は違ったものになったかもしれません。公安はスパイの尾行や監視、資料の分析などを得意としますが、事情聴取や実況見分、鑑識は刑事部のように場数を踏んでいませんからね」
事件発生から数年後、刑事部と公安部で異例の人事異動があったという。
「公安の資料分析担当者が何人も刑事部へ行きました。逆に公安は、刑事部の事情聴取担当者や鑑識担当者を引き抜いたのです。刑事部へ異動となった元公安の知り合いに連絡をすると、オウムのサティアンから押収した大量の薬品や資料を分析しているとのことでした。押収品の中には極めて重要な書類もあったそうですが、その情報は正式には公安に報告されませんでした。刑事部も公安と同様、情報を共有したくなかったのです」
結局、刑事部と公安部の縄張り争いが続き、2010年3月に事件は公訴時効を迎えてしまった。
「時効になった時、青木五郎公安部長が記者会見を行って、この事件がオウムの信者による組織的なテロリズムであるとの見解を示しました。結局、教団から訴えられて損害賠償を払うことになってしまった。なぜ、あんな踏み込んだ発言をしてしまったのか、理解に苦しみます」
勝丸氏は、刑事と公安は絶対に協力関係を築くべきだと言う。
「才能ある刑事や優秀な公安捜査官は、うまく情報交換を行っています。身内で争っている場合ではないのです」
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