コロナを好機として「ハコ」から脱却する――隈 研吾(建築家)【佐藤優の頂上対決】
近代は、人間をオフィスや学校、個人住宅といった「ハコ」の中に閉じ込めた。それはある時期まで効率的だったが、いまやデジタル技術によって、人々は同時に同じ場所にいる必要はなくなった。こうした時代に求められるのは、どんな建築か。新国立競技場の建築家が提唱するのは「小さな建築」である。
***
佐藤 建築は哲学に近接した領域にあり、非常に思索的な仕事です。東京2020オリンピック・パラリンピックの主会場となった国立競技場の設計に携わった隈先生が、1964年と今年の東京大会は断絶している、と発言されてきたことは、非常に大きな意味がある、と私は受けとめていました。
隈 ありがとうございます。幸いにも僕は前の東京五輪を深く味わっています。1964年は戦後日本の高度成長の一つのピークでした。僕の家は新横浜駅の近くにあったので、新幹線の高架が次々と建ち並んでいくのを目の当たりにしました。都心の空中にできた首都高速道路にも圧倒され、街の景観がどんどん変わった。子供心にもすごいことが起きている、と驚嘆したものです。
佐藤 その中心部では、水泳会場となった国立代々木競技場が作られます。隈先生はその代々木競技場を見て、建築家を志されたのですよね。
隈 ええ。当時の東京はまだ木造建築で埋めつくされていました。つまり、街が低く、小さく、ボロかった。渋谷駅を降りて公園通りを上がっていくと、そこに3本の塔が高く聳え立っていた。その2本は第一体育館の大屋根を吊り下げ、もう1本は第二体育館を支えていました。
佐藤 いまでも圧倒的な存在感があります。
隈 そうした外観に加えて、低く抑えた暗い入り口から入ると、突如として天井から光が降り注いでくる。そしてその光がプールの水面でキラキラ輝いていました。父に聞くと、これは丹下健三という建築家が作ったものだと言うんですね。10歳の僕は、その建築家というものになってみたい、自分が感動したように、誰かを感動させたいと思った。そこが建築家としての原点です。
佐藤 それから55年後の2019年に竣工した国立競技場は、デザインも素材も、また思想もまったく違うものになりました。
隈 2020年らしさとは何かを考えると、それは1964年の感動とはまったく逆のものにならなくてはいけない。1964年に、変わりゆく日本に熱狂した小学生は、その後に水俣病や光化学スモッグなどの公害が問題になり、街が鉄とコンクリートに覆われるのを見て、その熱がどんどん冷めていったのです。
佐藤 確かに1970年代は高度成長とともに公害の時代でした。
隈 建築にしても、丹下健三の弟子といわれた黒川紀章が、生物の新陳代謝の意味を持つ「メタボリズム」運動を始めますが、彼の設計した大阪万博の東芝IHI館は鉄の化け物に見えて、生物のしなやかさはなく、とてもがっかりしました。代表作の中銀(なかぎん)カプセルタワービルも、新陳代謝どころか風化するに任せる様子を見るのがつらかった。そうして街は息苦しいコンクリートのハコばかりになった。だから新しい国立競技場を作るにあたって第一に考えたのは、街の中に木を取り戻すことだったんです。
佐藤 確かに国立競技場は建物外周の軒庇(のきびさし)にも屋根にも木が多用され、樹木がインカネート(肉体化)されています。
隈 新しい杜(もり)ができたな、と思っていただきたいんです。その木も日本で一番流通している10.5センチ角の国産木材を三つに割り、軒庇の下部分に用いています。ものすごく経済的な木の使い方です。
佐藤 一度は決まったザハ・ハディド女史の設計案が撤回された一因は、高額な建築費でした。
隈 日本の大工の技はすごいですよ。海外で日本流の木造建築を作ろうとすると、とんでもない値段になってしまいますが、日本ではコンクリートで作るより大抵安くできます。
佐藤 木造には建築上、いろいろ制約があると聞きますが、技術も進歩しているのですか。
隈 木の技術はすごく進歩しました。たぶん10年前だったら、あの建物を作るのは無理だったと思います。木を不燃材として使う技術や塗装技術など最先端の技術がいろいろ生まれている。そうしたことも含めて、日本の持っている文化遺産、社会資本といったものが、木造にはあります。今回はそれをうまく使うことができたと思います。
佐藤 隈先生は木造建築を「建築のデモクラシー」と呼んでおられますね。一方、コンクリートは全体主義的であると。
隈 コンクリートはプロしか扱えません。何かを作ろうと思ったら、ある規模以上の建設会社に頼むほかないし、費用もかかります。一方、木造なら家の手直し程度は自分でやれる。しかも部材も規格化されていますから、建築中に大工が代わっても引き継いで家を建てられます。その意味で「開かれたシステム」なんです。これをもう一度取り戻したいんですよ。
[1/4ページ]