覚醒剤で逮捕の「53歳区議」はロッキード事件“ハチの一刺し”の長男だった

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若くてハンサム

《「出馬に当たって父から特に言葉はありませんでしたが、“出るからには勝て”といわれました。母にはこの22年間会っていません。20歳の時、母に会いたくて行方を探しましたが、居所がわかりませんでした。今度、母が選挙事務所に弁当を届けてくれ、その後再会を果すことができました」》(同)

 さらに――。

《北区の自民党の長老もこう語る。/「立候補表明をした当初は、“あのハチの息子”と中傷されたりもしたが、腰が低くて礼儀正しく、私などは党は違いますが好感を持ちました。選挙期間中は熱心に環境問題を訴えていましたが、女性層に食い込んでいました。なにしろ、若くてハンサムですからね。やっかんだ他陣営から、ホストクラブで働いたことがある、などというデマが流されたぐらいです」》(同)

 選挙戦の最後は、母と共に地元を回ったことも報じられた。

自民党から激励

《選挙事務所には20日、自民党の田中派に所属していた野中広務官房長官の激励文が届いた。党派を超えた支援で、文面には「御父上の果たせなかった政治への情熱を生かされますよう期待しております」とあった。/選対本部長の藤田幸久代議士(48)は、今回の選挙について「一氏は選挙を戦っていたが、敏夫氏にとっても名誉回復をかけた戦いであり、三恵子さんにとっても、息子との交流を回復するきっかけとなった。榎本家3人がそれぞれ戦っていたわけだ」と話した》(「日刊スポーツ」99年4月27日付)

 前述のように、当初は民主党から立候補していた。かつての榎本家を知る人物は言う。

「やはりお父さんの関係があったからこそ、野中さんから激励が届いたし、地元の長老議員もベタほめだったんでしょう。父親の敏夫さんも、かつては北区の区議をやっておられましたからね。そこから角栄さんに引っ張られたと聞いています。一さんが鳩山邦夫先生の下で仕事をするようになったのも、邦夫先生が角栄さんの弟子だったからですよ。もっとも、邦夫先生は自民党を出て民主党を立ち上げましたからね。民主党の藤田先生の秘書になった関係もあり、民主党から出馬することになったようです」

 もっとも――。

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