ビッグボス「新庄」に背番号1を預けた「斎藤佑樹氏」の素顔 球宴での“事件”など苦労が生んだ「神対応」
神対応が生まれるまで
この記者が続けて、
「今年夏までチームに在籍していた中田翔(現巨人、32)がコワモテでマスコミを近づけない雰囲気を作っていたのに比べれば、それこそ雲泥の差です。メディアとはとても良好な関係を築いており、番記者の間で斎藤さんは常に『神対応の人』と言われていたぐらいです」
ただ、この「神対応」には「選手生命を“事実上”絶たれるケガをして以降」という注釈が付くようだ。
その「ケガ」とはプロ2年目の2012年シーズン中、フォーム調整のため無理な投げ込みを続けたことで症状が悪化した右肩の関節唇損傷だ。
プロ1年目の2010年シーズンは6勝を飾り、翌シーズンのこの年は開幕投手にも指名され、西武相手に9回1失点のプロ初完投勝利を挙げていた。しかし、この右肩関節唇損傷を患って以降の斎藤氏はほとんど戦力になれず、まともに投げられなくなってしまった。
「スポーツの世界では『大きなケガをきっかけに人は変わる』と言われますが、まさに斎藤もそうだと思います」
そう打ち明けるのは、斎藤氏の入団当時からの「素顔」を知る古参の球団関係者だ。
ダルビッシュとのキャッチボール
「肩関節唇損傷は投手にとって致命傷です。それまでの斎藤は『ハンカチ王子』としての宿命を背負い、周囲の期待に必死になって応えようと体と心をイジメ抜き、突っ走り続けていた。でも、致命傷を負ったことで、自分とあらためて向き合うようになった。現在のようにメディア対応が格段に良くなったのも、ちょうどこの大ケガをしてから。余裕がなく、周りを顧みることができなくなっていたことにやっと気付いたのでしょう」(前出・球団関係者)
実際にルーキーイヤーには、先輩への振る舞いが話題になっていたという。
「日本ハムに入団した当初、『未来のエース』へのチームメイトの関心も高く、先輩のスター選手らも目をかけていたのです。ただ、この頃の斎藤は青かったのか、それとも勘違いしていたのか、やや常識に欠けるところがのぞいていました。メディアやチームメイトに対しても、警戒心からかスター気取りでツンとした態度に取られがちなところが多々あった。そのため先輩選手とも馴染めず、距離を取られてしまう場面が増えてしまったとささやかれてきました」(同)
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