「工藤会」頂上作戦時の「収支報告書」から見る稼ぎ具合、極刑判決が与えたヤクザ界への衝撃

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車もスーツも新調していたのに

 この度、編集部では福岡県警が工藤会壊滅作戦を敢行していた当時の工藤会の「収支報告書」を入手。本稿ではこれを読み解き、その一端を明らかにすると共に、今年8月に下された死刑判決が暴力団関係者らに与えた衝撃の大きさを見てみよう。

「車もスーツも新調していたのに」――。全国で唯一の特定危険指定暴力団「工藤会」(福岡県北九州市)のナンバーワンで総裁の野村悟被告(75)に対し、福岡地裁が死刑判決を言い渡したのは今年8月24日のことだった。その日、福岡県内に拠点を置く指定暴力団のある幹部は一報を聞き、旧知の警察関係者にそう漏らしたという。

 野村被告は組織ナンバーツーで会長の田上不美夫被告(65)と共に、1998年の北九州市の元漁協組合長射殺事件など一般市民に対する4件の襲撃事件で、殺人や組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)の罪に問われた。

「裁判で、検察側は被害者や元組員らの証言と状況証拠を積み上げ、野村被告をトップとした組織の絶対的な指揮命令系統を解明しました。一方、野村、田上の両被告が実行犯に指示を出したという直接証拠は示されない中、極刑の判決が下されたわけです。捜査当局にとっては期待通りの結果でしたが、“暴力団業界”では『無罪』と楽観する向きもあったからこそ、新車を準備してまで出所を待っていた。衝撃は大きく、他団体であっても他人事では済まされないという雰囲気が漂っていますね」

 前出の警察関係者はそう解説する。

野村さんに時計を差し出したところ

 野村被告は1980年代に工藤会の二次団体幹部になると順調に出世を続け、2000年に四代目工藤会会長に就任。11年に五代目工藤会が発足し、自身は総裁となり、田上被告が会長となった。九州地方の暴力団関係者は、人望のあった先代の溝下秀男氏と野村被告を比べ、こんな例え話をする。

「ある時、溝下さんが子分の豪華な腕時計に目を留めた。子分は自らその時計を差し出し、溝下さんは快く受け取った。一方、別の日に、子分が同じように野村さんに時計を差し出したところ、『おまえもっと高い時計をもっとるんと違うんか』とすごまれた」

 猜疑心から他人を決して信頼せず、常に威圧することを忘れない。真偽のほどは不明だが、配下に絶対的な服従を求め、工藤会を強固な上意下達組織とした野村被告の姿勢が伝わる話である。

 いずれにしろ、そんな野村被告の率いる工藤会は北九州市を中心に絶大な力を誇った。その源泉となったのが、工事現場の「地元対策費」や、繁華街の「用心棒代」などの名目で、一般市民から集める巨額のみかじめ料だった。収支報告書にはその詳細が記録されている。

「たとえば、工事現場の『地元対策費』であれば、一般的には解体5%、建築1%、土木2%が北九州界隈の相場で、工事に応じて総工費の中から地元の暴力団にみかじめ料を支払っていました」

 と、地元建設業関係者。

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