元公安警察官は見た 息子が喧嘩で逮捕され、某国駐日大使がとった意外な行動とは
示談に応じた大使
「息子のことで恥じ入っている大使の誠実な人柄がよくわかりました。大使は『あんな奴だが私の息子です。罪を許してくれとは言いませんが、今後どうなるか教えてくれませんか』と、かなり心配している様子でした」
大使の息子は、一方的に相手を殴ったわけではなく、自分も殴られていたという。
「こういう場合はどちらも加害者であり、被害者になるので、大使に『息子さんの方からも被害届を出すことができますが、その考えはありますか?』と尋ねました。すると、大使は『そんなことはしたくない。私は息子が怪我をさせた相手に謝罪したい』と答えました」
勝丸氏は上司に相談した。
「被害者の日本人男性は、医師の診断書と被害届を提出しているが、怪我の程度は軽く、示談に応じる意向を示していました。そこで大使に電話をかけ、『日本には示談という制度があって、相手に謝罪して金銭面で十分な誠意を見せれば事態は好転する』と伝えると、大使は示談に応じました」
結局、息子は勾留満期を迎える前に処分保留で釈放された。
それからしばらくして、勝丸氏は大使館で開かれたレセプションに招かれた。
「大使館は白亜の美しい建物で、広場の会場に通されると、若者が私の目をまっすぐに見て『サンキュー・フォー・エブリシング』と深々とお辞儀をするのです。キリッとした顔立ちの若者でした。それが大使の息子でした。彼の澄んだ目を見た時、更生の余地があるなと思いました」
その後勝丸氏は、大使の息子と食事に出かけるようになったという。
「大使から『息子はあなたの言うことは素直に聞くようなので、あいつをお茶や食事に誘ってください。費用はすべて私が払います』と言われました」
勝丸氏は遠慮なく、大使の息子と一緒に何度も高級レストランに行ったという。
「彼は自分の前で威圧的な父親に反感を持っていたのです。これまで父親から嫌な目にあったことなどを、聞かされました。彼は『父親はムスリムなのに、ドイツ留学した時豚肉を食った……』なんてことも暴露するので、『そんなことを言ってはいかん』と注意しました」
息子はテンプル大学東京校に通っていたが、中退。ところが、勝丸氏と会うようになって心を入れ替えたのか、また大学に通うようになったという。
「大使はそのことをとても喜んでくれました。その後、大使は本国へ戻り、外務省の要職に就いたそうです。息子も日本を離れ、中東の別の国で暮らしています。時々彼からメールが来ますが、真面目な生活を送っているようです」
[2/2ページ]