オムロン創業者の立石一真 駅の自動改札機を開発した男の「7:3の原理」

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「あなたは成功しますよ」

 仕事もなく、カネもなく、事業はすぐに行き詰った。蕁麻疹(じんましん)ができて医者に診てもらうと、「自分の実力以上のことをやっていませんか」と診断される始末だった。診断ではない、忠告だった。

 が、すぐに前を向くのが永守流。一真が社長のベンチャーキャピタルに資金支援を仰ぐことにした。

 わずか30坪ほどの小さな工場を訪ねてきた一真は、現場を見て、永守にこう語りかけ、
勇気づけた。「永守さん、よくここまでやりましたね。あなたは成功しますよ。私の創業時より立派なものです」と。

 日本電産は1975(昭和50)年、VCの2番目の投資先に選ばれた。「立石一真氏のお眼鏡にかなった」という信用力に後押しされ、永守の工場に次々と仕事が舞い込むようになった。危機を脱した日本電産は、その後、京都を代表するベンチャー企業へと飛躍を遂げる。

 永守には大事な思い出がある。工場をしばしば訪れた一真は、孫ほど年が違う永守と、モーター技術の将来について、時間が経つのも忘れて語り合った。

 日本経済新聞(2011年4月16日付)のインタビューで、永守は立石について、こう語っている。

「立石さんは一番尊敬する人や」

「若いころ教えを受けたオムロンの創業者の立石一真さんは『頑張りなさい』なんて甘いことは言わない。『私と同じで、貴方の行く道には深い川や険しい山がある。自力で越えられなければ、それだけの器ということや』」

「ある時『では、うち(立石電機)の下請けやるか』と言ってくれたので、ぐらっときたが、『しかしあんた、下請けはやらんというのが社是やったな』の一言で、ハッと我に返った。立石さんは一番尊敬する人や」

 一真の人を見る眼は確かである。永守が率いる日本電産はパソコンなどに使われる精密小型モーターで世界のトップシェアを握るハイテク企業に大化けした。

 一真は生涯、新しい技術に興味を持ち続けた。新しい技術を産み出す創意工夫のプロセスに興奮した。

 京都から世界的なハイテク企業が生まれたのは、一真の功績といっても褒め過ぎにはならないだろう。

 一真は京都における「ベンチャー第1世代」にあたる。ワコールの塚本幸一、学生ベンチャーのはしりである堀場製作所の堀場雅夫やロームの佐藤研一郎などがここに入る。

 第1世代は後進の育成に力を入れた。一真は日本電産の永守重信を育てた。ワコールの塚本幸一は京セラの稲盛和夫や村田機械の村田純一らの相談に乗った。村田機械は業務用FAXの大手である。

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