オムロン創業者の立石一真 駅の自動改札機を開発した男の「7:3の原理」

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「7:3の原理」とは?

 一真は経営のスピードを、とても大事にした。経営に関するさまざまな言葉を残したが、「7:3の原理」もその一つだ。現在、オムロンの社内の最も浸透している人気のターム(専門用語)である。専門用語は少し大げさかもしれないが、お許しいただこう。

〈新事業のアイデアを思いついたら、七分の成算があればまず実行せよ、ということだ。残り三分のリスクについては、思わぬ事態になった時に打つ手を大ざっぱに考えておけばよい、と割り切った。

 会社が大きくなつてからは、「3:7の原理」に逆転させ、「七分のリスクを覚悟しなければ成功なし」と呼びかけた〉(前掲『20世紀日本の経済人II』)

「7:3の原理」の発想の根底には、試行錯誤を重視するという考え方がある。

「理屈ばかりで何もやらなければ、経営はうまくいくはずはがない。まずやってみて、誤りがあれば正していく。試行錯誤。これぐらいの気持ちでやって、ちょうどよいくらいである」というのが一真流であった。

 この考え方は、ホンダの本田宗一郎をはじめ、名経営者に共通した思考のメソッドである。

日本電産に投資

 立石一真は常に新しいビジネスを模索し、躍動感ある企業を体現することを理想とした。

『わがベンチャー経営――創業者社長の実践経営学』(ダイヤモンドータイム社)や『永遠なれベンチャー精神――私の実践経営論』(ダイヤモンド社)などの著書もあり、1972(昭和47)年、京都の財界、金融界の出資で日本初のベンチャーキャピタル(VC)を設立したことは既に書いた。

 一真は社長になり、VCを陣頭指揮した。

 一真が率いるVCは若い起業家の駆け込み寺となった。日本電産の永守重信もその一人だ。永守は1944年、京都府向日市の農家の末っ子に生まれた。東京の職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)電気科に進んだ。

「ヤクザでもいい。政治家でもいい。ラーメン屋でもいい。とにかくどんな仕事でもいいからトップになる」

 お山の大将でなければ収まらない永守に、宮仕えのサラリーマンが務まるわけがなかった。勤め先で、社長や工場長とことごとく衝突して飛び出した。

 親分肌の永守は、1973(昭48)年7月、職業訓練大学校の3人の後輩を引き連れて、京都・桂川のそばの30坪の元染物工場を借りて、小型モーターづくりを始めた。永守、28歳の時である。

 起業した時点で永守は手痛い挫折を経験した。10人はついてくると思ったのに、行動を共にした後輩はわずか3人。「応援する」と言ってくれた取引先も全部逃げた。

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