「新庄」「立浪」より圧倒的に地味だが…ソフトバンク「藤本博史監督」に名将の予感

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豊富な指導者としての経験

 今シーズンまさかの4位に沈んだソフトバンク。7年間で5度の日本一に輝いた工藤公康監督が退任となり、新たに藤本博史監督が就任することとなったが、日本ハムの新庄剛志監督、中日の立浪和義監督と比べると、かなり地味な印象を受けたファンも多いのではないだろうか。

 現役時代は南海、ダイエーで中軸を任され、通算715安打、105本塁打という実績は残しているとはいえ、選手としての実績やスター性では新庄監督と立浪監督には遠く及ばない。今シーズンは一軍のヘッドコーチを務め、来季から二軍監督に就任する小久保裕紀への“繋ぎ”という意見も多いだろう。

 しかし、当然ながら選手時代の実績が、そのまま指導者としての結果に直結するわけではない。ソフトバンクのフロントも狙いがあって、監督就任を要請したはずである。まず、藤本監督の新庄監督と立浪監督にはない何よりも大きな強みが豊富な指導者としての経験である。

 2011年に二軍打撃コーチに就任すると、当時入団したばかりだった柳田悠岐の才能開花に大きく貢献した。その後も2018年までは一軍、二軍を行き来しながら一貫して打撃コーチとして手腕を発揮。19年から2年間は三軍監督、今年は二軍監督として、チーム全体の指揮を経験している。

 また1998年に引退してから再びコーチとしてユニフォームを着るまでの期間は解説者としても活動しており、外から野球を見てきたことも指導者としてプラスになっているだろう。

コーチが長かった監督たち

 一方の立浪監督は、解説者としての経験は豊富だが、指導者としては日本代表の打撃コーチを務めただけで、NPB球団ではコーチの経験もない。新庄監督にいたっては引退後、完全に野球界から離れており、「カリスマ性頼み」という印象は否めない。それを考えると、藤本監督という選択は非常に手堅いとも言えそうだ。

 過去を振り返ってみても、選手としての実績はなくてもコーチとして実績を残して名監督となった例は決して少なくない。その代表例が阪急の黄金時代を築いた上田利治だろう。選手としてはわずか3年間プレーしただけだが、コーチとしての手腕が評価されて阪急の監督に就任。1975年からは日本シリーズ3連覇の偉業を達成している。

 上田が退任した後のオリックスを率いた仰木彬もコーチが長かった監督の一人だ。選手時代はベストナインを獲得するなど、上田と比べると実績はあったが、決してスター選手だったわけではない。引退後は近鉄で長くコーチを務めて1988年に監督に就任。1年目はいまだに語り継がれている“10.19”でロッテに引き分けて惜しくも優勝を逃したが、翌年は見事にリーグ優勝を達成。

 その後、オリックスでも監督を務め、1995年からはリーグ連覇、1996年には日本一に輝いている。イチローの才能開花に一役買い、メンバーを固定しない日替わり打線といった奇抜な戦い方は“仰木マジック”と呼ばれた。

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