野村監督は新庄剛志になぜ投手をやらせたのか 「悔しいくらいかわいい」と言わせた師弟関係
二刀流の挑戦
キャンプで野村は新庄に投手としても練習するよう指示した。まさに“二刀流”への挑戦。ただでさえ「野村阪神」に沸きたっていたマスコミは、連日のように新庄の練習も報じた。
「後に野村さんは『新庄に投手の気持ちを理解させることで、打撃の向上を狙った』と説明しました。二刀流は本気ではなかったというわけです。新庄にマスコミが群がるのを狙い、阪神のスターに育てようという考えもあったのでしょう。ただファンの受け止めは文字通りの賛否両論で、野村さんへの批判も殺到しました」
スポーツライターの二宮清純は秋季キャンプを訪れ、月刊誌の「現代」(講談社・休刊)の1999年4月号に記事を掲載した。タイトルは以下の通りだ。
「独占ロングインタビュー 『投手・新庄』の真意は? 『ダメ虎再建』の苦楽とは? 野村克也『開幕三連戦で巨人を叩く』」
二刀流の練習を間近で見た二宮が《あんなに新庄が野球を楽しそうにやっているのを初めて見ました》と質問すると、野村は笑う。
《ああいう人には理論をいくら教えても意味がないんです。逆に個性が死んでしまう。だったら、楽しくやらせてあげるしかないかなと。だから気がついたことがあっても、細かいことは言わないようにしています》
野村阪神で大活躍
二宮が野村にインタビューを行っていると、そこに突然、当時は野球評論家だった落合博満(67)が登場し、新庄に話しかけた。
《「オマエ、今年の目標は?」「はい、ホームラン三十本です!」「三十本? そんなもの打てっこないよ。打つためにはプロセスが必要なんだ!」「はァ……」「だって、オマエが打席に入ると、相手のピッチャーは気持ち悪いんだからな。“こんなの打てないだろう”というようなボールを平気で打っちゃうんだから」》(註:改行を省略した)。
落合と新庄のやりとりを見ていた野村の表情を、二宮は《慈悲深い仏のよう》と形容している。
落合の助言が終わると野村は「落合先生の言うことをよく訊くんだぞ」と声をかけた。新庄は《ニコリとうなずいて》、グラウンドに飛び出していったという。
結局、二刀流が実現することはなかった。だが、野村の下で新庄が“打撃開眼”したのは間違いない。野村阪神の2年目にあたる2000年のシーズンでは打率2割7分8厘、本塁打28本を記録。本塁打は新庄のキャリアハイになる。
[4/6ページ]