野村監督は新庄剛志になぜ投手をやらせたのか 「悔しいくらいかわいい」と言わせた師弟関係

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「新庄は天才型」

《新庄剛志と私は、1999年から2年間、阪神の同じユニフォームを着ていた》

《新庄のプレーは、ヤクルトの監督時代から目にしていたが、人並み外れた身体能力の持ち主であることは明白だった。肩が強くて足が速い。全身がまるでバネのようだった》

《特に彼の鉄砲肩は、私が長い野球人生の中で見てきた中でも、最高と言ってよかった。肩に関してはイチローよりも上だったと思う》

《守備も申し分なく、外野として必要な要素はすべて備えていた》

 あの野村が、これほど新庄を絶賛していた──驚いた方も少なくないだろう。とはいえ、弟子である新庄は「宇宙人」だ。普通の師弟関係に収まるはずもない。

 野村氏の愛弟子と言えば、やはり古田が浮かぶ。球史に残る名捕手が監督として熱血指導を行い、同じように球界を代表する捕手に育てあげた。

 野村と古田が一般的な師弟関係だとすれば、野村と新庄は球史に「前例がない」ものになった。連載の引用を続けよう。

《新庄は本能だけで野球をしていた。天性の素質が優れていたため、何も考えずにプレーしても通用してしまった。いわば天才型の選手だ》

「正直なヤツやな」

 阪神の監督に就任した野村は《才能溢れる新庄が優れた野球頭脳を身につければ、超一流になることも夢ではない》と考えた。

 そこで新庄に《考える野球》を教えようとした。ところが《いくら理詰めで話しても、全く効果がない》とサジを投げている。

 この師弟関係を第三者はどう見ていたのか。野球評論家の江本孟紀は、当時の野村と新庄の“迷問答”を紹介している(註1)。

 ちなみに江本は南海時代、選手兼監督だった野村の下でプレーした。ベテランキャッチャーと若手ピッチャーという2人は、これもまた“師弟関係”を結んでいた。

 野村は1998年のオフに阪神の監督に就任すると、さっそく秋期キャンプに参加した。江本の回想を引用しよう。

《キャンプの初日、就任早々の野村さんが新庄をつかまえて野球の話を始めた。あの人は話が長いから、普通は20分も30分も続くんですが、10分ぐらいしたら新庄が突然、「監督、ボクの頭ではこれ以上覚えられません。明日にしてください」(笑)》

 このエピソードを江本は野村本人から教えてもらったと振り返っている。《正直なヤツやなと好感を持ちました》と評価。《新庄の一番のよさは正直で、かしこぶらないところ》とも語っている。

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