ヨーロッパの王室離脱劇に見る「王族の条件」 平民と結婚した事例の顛末、求められる覚悟とは?
21世紀の王室
このように、つい70年程前まではごく普通におこなわれていた「王室からの追放」という処遇も、21世紀の今日には見られなくなった。古代や中世から続く王室も「時代とともに変わる」柔軟な姿勢を身に付けているのである。
とはいえその一方で、時代とは関係なくいつまでも変わらない姿勢というものも感じられる。それは「覚悟」と「道徳的な態度」である。
「庶民」から王室に入る場合であれ、逆に「庶民」との結婚により王室を出て行く場合であれ、彼らには相当な「覚悟」が必要であった。それと同時に、王族であれ「元王族」であれ、彼らには「道徳的な態度」が求められたのである。
スウェーデンでは1980年より絶対的長子相続制となっていたが、皇太子のヴィクトリア王女が、恋人のダニエルと付き合い始めた当初は父王からも国民の大半からも反対を受けていた。だがダニエルが外国語や歴史、政治や法律などを必死に勉強するとともに、宮廷儀礼なども学んで、7年後にようやく結婚したのである。
また一方、同じスウェーデンのクリスティーナ王女は、弟のカールが国王となり、シルヴィアと結婚するまでの間、国会の開会式や国賓の接遇などさまざまな行事に出席し、「平民」と結婚した後もスウェーデン赤十字社の名誉総裁などを務め、数々の公務をこなしてきた。しかしこの間に彼女は王室からの歳費はいっさい受け取らなかった。
クリスティーナの姉たちにしても、王室から離脱した後はそれぞれの人生を歩むことになったが、実家に金を無心することなどいっさいなく、また「元王族」の威光を借りて私利私欲に走ることなどもなかった。
またノルウェーのラグンヒルは実業家としての夫の成功もあったが、2012年に82歳で天寿を全うするまで、父や弟に迷惑をかけることなどなかったのだ。
「貴賤婚」に基づく王室からの追放がまかり通っていた時代が遠く過ぎ去ったとはいえ、どのような出自であろうと、王族と結婚するからには、これからは「国民統合の象徴」の一翼を担うのだという「覚悟」と、あらゆる誘惑にも乗らない「道徳的な態度」とが問われるのが、21世紀の現代ヨーロッパ王室の姿なのかもしれない。
19世紀のイギリスの政治評論家ウォルター・バジョットがいまから150年前に「王室はいまや国民から道徳的指導者とみなされている」と喝破したが、その傾向は現在でも変わりがないのではなかろうか。
それはむろん、日本の皇室にも当てはまることなのである。