ヨーロッパの王室離脱劇に見る「王族の条件」 平民と結婚した事例の顛末、求められる覚悟とは?

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貴賤婚という考え方は徐々に消滅

 エアリングもこれ以上国王や王室、なによりラグンヒルに迷惑をかけたくないと、一度ならず関係を諦めようとしたが、最終的にふたりは愛を貫いた。ついに老国王がふたりの結婚を認め、1953年5月に華燭の典を挙げることができた。

 しかしふたりは結婚後すぐに海外へと旅立った。行き先はブラジル。ここでエアリングは家業に精を出し、やがてブラジルでも最大級の製紙会社まで傘下に収める大実業家となった。この間に、ラグンヒルにとっては祖父のホーコン7世、父のオーラヴ5世も亡くなり、1991年からは弟のハーラル5世がノルウェー王となった。ラグンヒルは、ノルウェー王室に関わる行事に招かれる以外はほとんど故国に戻ることもなく、ブラジルで生活した。

 ノルウェーでも母マッタの急逝(1954年)以後は、「貴賤婚」という考え方は徐々に衰えを見せていった。現国王のハーラルも「平民」出身のソニア(現王妃)との結婚を父王に認めてもらうのに9年の歳月を要した。ふたりの子どもたちはいずれも「平民」と結婚し、北欧の王室はもはや「貴賤婚」とは無縁のような存在となっている。

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