ヨーロッパの王室離脱劇に見る「王族の条件」 平民と結婚した事例の顛末、求められる覚悟とは?

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 1945年春にノルウェーは連合軍によって解放され、国王一家も故国に戻って国民とともに勝利を祝った。戦後から老国王の護衛官を務めるようになった若き将校もレジスタンスの闘士のひとりであった。その名をエアリング・ロレンツェンといった。やがて彼はアメリカから帰国した女性と恋に落ちる。誰あろう、そのお相手こそが皇太子夫妻の長女ラグンヒル王女であった。

「貴賤婚」に厳しいスウェーデン王室の出身であるマッタ皇太子妃がふたりの関係に真っ先に反対した。彼女のすぐ下の妹はベルギー王室に嫁いでいたが(現国王の祖母にあたる)、姉妹の弟は「平民」と結婚して1937年にスウェーデン王室から追放されていた。大事な長女をそのような目には遭わせたくない。マッタ妃の偽らざる気持ちであった。

 反対したのは彼女だけではない。老国王もオーラヴ皇太子も、エアリングのレジスタンス時代の功績に文句は付けられなかったが、王女との結婚ともなると話は別だった。ロレンツェン家は、ノルウェーでも屈指の商船業の大立者であったが、「王侯家」との結婚にこだわる当時の王室としてはふたりの結婚を認めるわけにはいかなかった。

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