ヨーロッパの王室離脱劇に見る「王族の条件」 平民と結婚した事例の顛末、求められる覚悟とは?

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平民と結婚すると――

 ヘンリーとメーガンの場合は、自ら王室を離脱した事例であるが、厳格な規律を重んじるヨーロッパ王室では「身分違いの結婚」によって王位継承権を剥奪されたケースも多い。俗に「貴賤婚(きせんこん)」と呼ばれている。

 第1次世界大戦の原因となった、サラエボ事件の犠牲者である、ハプスブルク帝国の帝位継承者フランツ・フェルディナント大公もそのようなひとりであった。大恋愛の末に結婚した相手が、伯父である皇帝のお眼鏡にかなわず、大公自身の帝位継承権は認められたものの、妃との間に生まれた子どもたちは帝国を継承できなかったのだ。大公妃の実家は「伯爵家」であったにもかかわらず。皇帝や国王の妃は同じく王侯家の王女でなければならないと固く決められていた時代のことである。いくら伯爵家のお嬢様でも「貴賤婚」の対象とされる時代であった。

 第1次世界大戦と時を同じくしてヨーロッパでは、ハプスブルク家(オーストリア=ハンガリー)、ホーエンツォレルン家(ドイツ)、ロマノフ家(ロシア)の三つの帝室と無数の王侯家が姿を消した。しかし「貴賤婚」を厭う慣習は、生き残った各国の王家で続いていった。特に厳しかったのが北欧のスウェーデンである。

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