「新庄剛志監督」誕生に賛否両論 スポーツ紙記者は「日ハムにとっては当然の人事でしょう」

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「チャラチャラした奴」

 とはいえ、結局のところGMは“中間管理職”、“縁の下の力持ち”というポジションだ。やはりスター性のある新庄氏は監督のほうが向いているという。

「GMと監督では露出度が全く違います。監督は試合中にカメラが向けられるのは当然ですし、試合の前後には必ず取材陣に囲まれる。テレビのニュース番組で紹介されたり、スポーツ紙に取り上げられたりする機会は、GMと比べれば雲泥の差です。日ハム側は『GMでも監督でも、どちらでもお願いできるのなら、目立つ監督のほうがいいだろう』と考えたのでしょうし、それは当然の選択だと思います」(同・記者)

 これだけ高い評価に驚いた方もいるかもしれない。記者氏は「2003年のオフ、新庄さんが大リーグのメッツから日ハムへ移籍が発表された時の世論を思い出します」と振り返る。

「札幌ドームで日ハムが初試合を行ったのは2001年のことでしたが、観客動員は伸び悩みました。2004年から本拠地が札幌になるため、球団は『絶対にスターが欲しい』と新庄さんへ真っ先に声をかけ、移籍が実現しました。しかし、世論だけでなく球団の関係者からも『なんであんなチャラチャラした奴を獲得しなきゃいけないんだ』と批判の声が上がっていました」(同・記者)

2000年代の“新庄効果”

 ところが、半年も経つと、批判の声は全くなくなったという。

「誰もが新庄さんの人柄に魅せられてしまったんです。野球少年が、そのまま大人になったような性格です。不調の時は本当に肩を落として報道陣の前を通過していきます。リーダーシップを発揮することも多く、新人のダルビッシュ有さん(35)がチームで浮いている時期もあったのですが、森本稀哲さん(40)と一緒にイジって、溶け込ませてしまいました」(同・記者)

 記者氏が強く印象に残っているのが、新庄氏が報道陣の前で語る“抱負”だという。

「『試合に勝ちたい』と言うのを聞いた記憶がないんです。実際は『勝ちたい』とか『日本一になる』と言ってはいたのでしょう。しかし、それより圧倒的に多かったのが、『札幌ドームを満員にしたい』でした。そして新庄さんが入団すると、球場には観客が詰めかけたのです。おまけに選手は一丸となってまとまりました。引退を発表した2006年にはパ・リーグを制覇。日本シリーズで中日を下して日本一に輝きました。これは“新庄効果”と言っても過言ではありません」

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