土光敏夫が東芝再建で見せた“根性と執念” 「役員は10倍働け。私はそれ以上働く」

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元祖モーレツ経営者

 元祖モーレツ経営者である土光は、部下に“会社人間”になることを求めた。部長クラスに対するしごきはすさまじかった。無理難題と思われることでも平気で要求し、できなければ口汚くののしった。今ならパワハラで問題になりかねないほどだった。

〈「何だ、これしきのことが、まだできないのか。そんなに役立たずなら、もう死んでしまっていい……」

“殿様の気風”の強い東芝の社員達は誰しもが落ち込んでしまった。気の弱い管理職が次々とノイローゼにかかったのも無理はない。

 役員人事に際し、土光は役員候補にこう申し渡した。

「君を役員に推薦したいのだが、もし役員になると家庭生活は完全に犠牲になる。その覚悟があるかどうか。奥さんとよく相談して、一週間後に返事をしてくれたまえ」

 晴れて名門、東芝の取締役になれるのだから、役員候補は全員、喜んで受諾すると報告をしてきた。ところが、数ヵ月もたたずに脱落する人が相次いだ。それほど土光の“管理職しごき”はすさまじかった〉(前掲書)

問題は「執念の欠如」

 大きな仕事が目の前に置かれると「できない、無理、難しい」と拒否反応を示し、その理由をあれこれ述べるサラリーマンが少なくない。土光は「個人の能力には大きな差はない。あるのは根性と持続力の差だ」と考えた。

 東芝の経営再建を見事にやり遂げた土光ほど「執念」という言葉が似つかわしい経営者はいない。

 有名な名言が残っている。

「やるべきことが決まったならば、執念をもってとことんまで押しつめよ。問題は能力の限界ではなく、執念の欠如である」

 この発言は、土光の青年期の体験に根差している。

 土光敏夫は1896(明治29)年9月15日、岡山県御野郡大野村(現・岡山市北区)に肥料仲買商だった菊次郎・登美夫妻の次男として生まれた。

「暮らしは低く、思いは高く」を貫いた土光の精神形成に大きな影響を与えたのは母・登美である。

「備前法華」という言葉があるように、岡山県は日蓮宗が盛んな土地だ。父母は信仰心が篤く、土光も熱心な信者になった。

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