土光敏夫が東芝再建で見せた“根性と執念” 「役員は10倍働け。私はそれ以上働く」

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役員を一喝

 石坂が土光に再建を託したのは、東芝が深刻な経営危機にあったからだ。危機の根本原因は企業体質に根ざしていた。社長(当時)の岩下文雄は、社長専用の浴室、トイレ、隣室には調理場を作り、専属コックを置いていた。トップが華美に溺れると、組織は頭から腐る。石坂は岩下の更迭を決断した。

 土光は「東芝に有能な人材が多いから再建できる」と判断し、再建社長を引き受けた。この時、68歳。しかし、土光を迎える東芝の役員室は冷ややかなものだった。誰も口をきかない。それでも一度やると引き受けた以上、とことんやり抜くのが土光の真骨頂だ。

 社長に就任して初めての取締役会で役員たちを一喝した言葉は、今では語り草になっている。

「社員諸君には、これまでの3倍働いてもらう。役員は10倍働け。私はそれ以上働く」

 当時の重役は朝10時ごろ出勤し、夜は銀座で接待を受けるのが当たり前だった。いわばルーティーンと化していた。そんなだらけた雰囲気を一掃し、先陣を切って働くと、土光は宣言したのである。

東芝のエリートは悲鳴

〈東芝改革には一切の遠慮と妥協を断ち切った。それを象徴するのが“岩下御殿”の打ちこわし作業だった。

「ガーン、ガーン、バリバリ……」と、耳をつんざく社長室解体工事の大騒音がぬるま湯体質の東芝の風土を粉砕した〉(榊原博行『第四代経団連会長 土光敏夫氏』[日本工業新聞社編『決断力(上)』収録])

 公約通り、土光は率先垂範して10倍以上働いた。午前4時に起床、仏間で30分、読経(土光は日蓮宗の熱心な信者だった。これについては後述する)。それから散歩して庭で木刀の素振り、野菜ジュースとヨーグルトの朝食をとって7時半に出社。ゴルフもやらず、料亭も大嫌い。朝早くから夜遅くまで働き詰めで、無駄な時間を過ごすことはなかった。

 土光の生活パターンは石播時代とまったく変わることはなかったが、これに真っ先に悲鳴をあげたのが東芝の役員たちだった。それまで午前10時に出勤していた役員のなかには、わざわざホテルに泊まって早朝出勤する役員も現れ、“土光哀史”と皮肉られた。

「会社で働くなら知恵を出せ。知恵のないものは汗を出せ。汗も出ないものは静かに去って行け」

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