「V6解散」、世界中の誰もたどり着いたことのないような場所に到達した6人
「学校へ行こう!」以前と以降
90年代、SMAPの成功を受けて、TOKIOは「ザ!鉄腕!DASH!!」「ガチンコ!」KinKi Kidsは「LOVE LOVE あいしてる」といったように後輩のグループは、それぞれにバラエティ番組をもった。V6の「学校へ行こう!」は、その流れの中にあったと言っていいだろう。
1997年から、形を変えながらも約11年間続いたこの番組は、全盛期には視聴率が20%を超え、V6の一般的な認知を高めるのに大きく貢献したと言っていい。
しかし、徐々に視聴率は低迷していき、2005年にリニューアルをはかるも、2008年にはついに終了する。番組終了はV6の結成から13年が経った頃で、結果論だが、26年のV6の活動期間の中でちょうど折り返し地点のようになっている。
この「学校へ行こう!」の終了と前後して、V6はTVスターではない、今や“職人”とも形容されるような、それぞれに熟練した技術をもった道を進むことになる。
岡田准一は2005年に3本、2006年に2本も主演映画が公開されている。うち1本は、是枝裕和監督が「誰も知らない」で注目を浴びた後に初めて作った時代劇「花よりもなほ」で、明らかにこれまでの“ジャニーズ主演映画”とは一線を画していた。
岡田は2014年度に、日本アカデミー賞で最優秀主演男優賞・最優秀助演男優賞の2冠を受賞し、今や日本を代表する映画俳優だ。
森田、坂本、三宅の活動
森田剛は2005年に劇団☆新感線の舞台「荒神~AraJinn~」で舞台初主演を務め、2010年には蜷川幸雄演出の「血は立ったまま眠っている」、2011年には宮本亜門演出の「金閣寺」と、ジャニーズの外の演出家の舞台に立ち続けることで舞台俳優としての評価を高めていく。一度でも森田の舞台を見れば岡田が「天才」と評するその姿に圧倒されるはずだ。
デビュー前の1992年から20年連続で舞台に立ち続けていた坂本昌行は、2011年に“ジャニーズJr.のとき以来”のオーディションを受け、英ロンドンのオリジナル版演出家らによって「ゾロ ザ・ミュージカル」の主演に選ばれる。そこから更にミュージカル俳優としての地位を確固たるものにしていく。中居正広も認めたそのダンスの技術・舞台映えする長い手足に伸びる声は、海外ミュージカルとの適性も高い。
俳優業だけではない。三宅健は2005年のデビュー10周年握手会で、手話でメッセージを伝えようとしてくれたろう者のファンに対応できなかったことをきっかけに、自ら地域の手話講習会に申し込み、3年間通って学んだ。2014年からは「NHKみんなの手話」のナビゲーターになっている。
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