森田芳光監督 生誕70年で人気再燃 ライムスター「宇多丸」が語る”色褪せない作品の魅力”

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「(ハル)」の普遍性

 むしろ森田作品の大ファンである宇多丸さんと、作品の制作に深く携わった三沢プロデューサーによる対談のほうが、作品に対する解説としては機能したわけだ。

 単行本としてまとまった『森田芳光全映画』から浮かび上がることの1つに、森田作品の“普遍性”がある。作品は公開時の輝きを失っていないのだ。だからこそ「70祭」が盛り上がっているのだろう。

「森田監督を評価する文脈で、『スタイリッシュな映像空間は、80年代の雰囲気を象徴した』というような指摘があります。僕も以前は、監督の作品は時代性に強く縛られているところも大きいと思い込んでいた時期がありました。しかし改めて見返してみると、森田監督の演出はそもそもあまりにもオリジナルで、同時代の日本映画と比べても圧倒的に時代を超越していることがわかります」

 例えば「(ハル)」がロードショー公開されたのは1996年。パソコン通信がテーマの作品だが、まだパソコンすらよく知られていない時代だった。

「最重要作品にも位置づけることが可能な作品ですが、森田監督がパソコン通信という“新しい”テクノロジーに惹かれたのは事実でしょう。ところが実際の映画では、登場人物がキーボードを叩いたり、実際のコンピュータ画面が映ったりといった、具体的なガジェット描写は最小限にとどめられているんです。心と心が直接通じ合うという本質だけが描かれている。最新風俗に焦点を合わせると、必ずその部分は古びます。でも森田監督はそうしなかった。だから普遍性を獲得できたんです」

森田作品はタイムレス

 本質だけを浮かび上がらせる演出──これが森田作品の核だという。

「人と人の関係を描写する視点も、非常にフラットなんですね。旧来型の社会的枠組みにとらわれない、自立した人と人との関係性を描いた。恋愛とか友情とか名前はどうでもいい。そんな分類のくびきからこそ自由になるべきだというメッセージです。『の・ようなもの』におけるセックスワーカー、1989年の『キッチン』(松竹)におけるトランスジェンダーの扱いなども、当時としては段違いにフェアなものだと思います。1991年の『おいしい結婚』(東宝)も“伝統的な結婚観に縛られなくてもいいのでは?”というメッセージが込められています」

 もし森田監督が存命だったなら、「#MeToo」を題材に傑作を撮影したのではないだろうか──宇多丸さんは、こんなことを想像することがあるという。

「森田監督が亡くなって残念だと思うことは色々ありますが、今ほど新しい人間関係の描写が求められている時代は、そうないでしょう。男女や親子の関係、職場の人間関係、ありとあらゆる人と人との関係性に、価値観のアップデートが起きている。この社会現象を利用して、森田監督は滅茶苦茶に面白い作品を作ったのではないかと想像が膨らむんですよね。監督のタイムレスな演出、今の時代を先取りしたかのような感性が傑作を生んだわけですが、今の若い観客からも評価されている理由だとも思います」

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