不正経理のリーク元と疑われ、論文不正の嫌疑もかけられた元教授が明かす「京大霊長類研究所」騒動のてん末(前編)
所長公認の不文律
その人は京大におけるアフリカでの野生チンパンジー調査の黎明期に活躍した人物で、その業績は海外でとみに評価が高かった。私などでも、「彼はどうしてるか」と向こうで何度もきかれたことがあったほどである。ただ先輩や同僚と衝突し、アフリカに行く機会を失い、40歳(1980年)のころには実家のある関東に自宅をかまえてしまったのだった。
ちなみに霊長研という組織は愛知県に所在する。毎月、一度だけ出席をもとめられる会議があるのだが、彼はその日だけ関東からやってくるようになってしまった。もちろん研究所の雑用は一切しない。出勤簿に押印しなくてはならないはず。きっと研究室の事務の人が適当に押していたのだろう。ネットもメールもなかった時代のこと。どんな風に毎日をくらしていたのか、誰にもわからなかった。
しかしそれで無断欠勤扱いにもされずに、助手として彼は定年を研究所で迎えたのだった。彼の在籍した研究室は、おおむねそんな雰囲気で今にいたっている。コロナ禍で在宅ワークなどと言われる以前から、研究所に来たくない人は来なくてもかまわないという不文律があり、所長公認である。いや、その研究室には前総長も在籍していたから、総長公認といったほうが正確かもしれない。
放っておいても仕事をする人は、立派にやってのけるという論理が暗黙裏に通用していた。大学院生の指導もおよそ「放牧」にちかいものだった。それがサル学の流儀とされてきたのが、もはや昨今では通用しなくなってきたことは、認めなければならない現実だろう。
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