現役大学生の松本清張賞作家「波木銅」が語る翻訳者への感謝 「翻訳作品がなければ小説は書けなかった」

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カルチャーを渇望する若者の人生に欠かせない「翻訳者」

 弱冠21歳で第28回松本清張賞を受賞、『万事快調』で作家デビューを果たした現役大学生の波木銅さん。田舎高校の園芸部が大麻を育てる、奇想天外な物語を綴る彼の文学性を育んだのは海外の名著たちだった――。

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 最近、文庫化をきっかけに村上春樹・柴田元幸両氏の対談集『本当の翻訳の話をしよう』を手に取った。翻訳界の重鎮である彼らの含蓄をふんだんに湛えた対話を読んでいると、なにもしていない自分もなんだか知性とユーモアに満ちた人間に思えてくる。

 翻訳のフィルターを通して、異なる言語を用いる本来まったく接点のない立場の作り手と受け手が邂逅できる。

 思えば、私が海外文学を読むようになったきっかけは村上訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だった。文学にかぶれだした中学生はいつの時代だってそうだ。少なくとも、それで自分のなかの世界が広がったことは間違いない。

 そして、とにかく全編めちゃくちゃなキャシー・アッカーの代表作『血みどろ臓物ハイスクール』を大胆に訳した渡辺佐智江氏、とってもアバンギャルドなバロウズの小説やアラン・ムーアのコミックを日本語で読むことを可能にした柳下毅一郎氏、数多の名著を軽やかな日本語に置き換えてきた岸本佐知子氏などの優れた訳者がいなければ、私は長編小説を執筆することなどできなかったに違いない。

 思えば、私のような文学や映画や音楽……カルチャーを手あたり次第に摂取することでのみ自我を確立していたような若者にとって、それらの作品の作り手と同等かそれ以上になくてはならない存在が翻訳者だった気がする。母国語の作品だけでやり過ごすには、人生はあまりにも長く、退屈すぎる。

 たとえば私のような人間がどこか遠くの国で作られた奇抜なカルト映画を見つけ出して、したり顔で楽しむことができるのも、ひとえにそれを輸入し、訳す人たちがいるからなのだ。翻訳は多くの人の人生を豊かにするものなのだろう。

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