コロナ禍で急増の「移住者」 地元民必読「ヤバそうな都会人」を見分ける6つのポイント

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恨みは末代まで

▽鉄則5:境界確定には気をつけろ

 都会人は境界確定が大好きである。都会の感覚ですべてを「資産」だと考えるのだ。

 資産を維持するためには、不動産の境界確定をしていなければならないのだろう。しかし、そもそも山間部の土地は、たいがい緩い傾斜がついており、地面や土地は永年、下方に滑っている。

 こうした土地で地元民が境界確定している例などほとんどない。だが、都会人はそれを許容しない。境界確定を行い、何を求めて移住したのかわからないほど塀を張り巡らせる。背丈並みに高い塀も少なくない。

 とにかく、所有権は見えるかたちで囲わなければ気が済まないのが都会人というもの。結果、成城学園前と変わらない風景がそこかしこに広がっている。コロナ禍とは、地方の成城学園化をもたらしたのだと納得させられる。

 きっとそれもこれも、豊かな自然をありのままに愛でるよりも、「プライバシー保持」を優先させるためなのだろう。

 だが、越してきて早々、近隣に境界確定を持ちかけるのが都会人の特性でもある。この瞬間に田舎暮らしなど終わったと見做すべきだろう。

 ビジネスライクにいかないのが地方というものだから、境界確定の恨みは末代まで続くのだ。「あそこからあそこまでが私の土地だ」とゴリゴリ進め、ハンコをついた時には、地元の人々との人間関係は崩壊している。

地元理解の姿勢

▽鉄則6:芝生を育て始めたら気をつけろ

 都会人はなにかと芝生を敷きたがる。ゴルフ場のグリーンでも造成しているのかと見紛う手入れの良さである。地元にとっては、これほどありがたい話はない。

 都会人が求めるのは、ゴルフのグリーンと同じ青々しさだが、これは維持が難しい。ゴルフ場がどれだけのカネをかけてあの緑を維持しているのかを知らないのが都会人である。

 とりわけ山間部では、日当たりや気候、高度もあり、芝は造園においては実に“うるさい”植物である。

 また、海外種の芝を定着させるとなると、簡単ではない。もともと土まで入れ替え、さらに定期的に肥料を撒いたりと、それだけでも大変な費用である。

 かつ、芝は踏みつけに強くない。かつ、芝は弱いので、その上で何か作業をするとすぐにダメになる。それを理解した移住者は、次からはなるべく芝を踏まないようになり、まるでそこは触れることの許されない額装された絵画のような状態でしかない。

 芝の上でのんびりどころか、芝は触れてはいけないものとなったそこは、果たして何のための田舎暮らしの住処であるのか。本当の田舎暮らしを知っている移住者は自生の野芝を選び、無理解の都会人はケンタッキーブルーグラスを選び、肥料とともに地元でカネを使う。

 この作法の違いから、地元民は新たな移住者の「地元理解への姿勢」を見て取るのである。芝を踏まないことが、移住者という地雷を踏まない最善の方法でもある。一面に芝が広がっていれば、そこは移住者の土地である。

●註1:走るわが家「トレーラーハウス」 初期費用手頃 おしゃれな外観(読売新聞・2020年3月2日付・東京朝刊)

清泉亮(せいせん・とおる)
1962年生まれ。近現代史の現場を訪ね歩き、歴史上知られていない無名の人々の消えゆく記憶を書きとめる活動を続けている。

デイリー新潮取材班編集

2021年10月29日掲載

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