【袴田事件と世界一の姉】味噌タンクに「5点の衣類」を放り込んだ警察の大胆な捏造工作

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巌さんが入れられたはずがない「5点の衣類」

「こりゃ、巖へのクリスマスプレゼントですね。でも、うわっと記者さんたちが押しかけて来て大変でしたよ」と振り返るひで子さんの相好が崩れたのは、記者の訪問が落ち着いた後、今年1月にお会いした時のことだった。

 その時、自宅で見せてくれたのが、2020年12月23日付の最高裁からの封書だ。最高裁は、確定審で「犯行時の着衣」と認定されていた「5点の衣類」について、付着した血痕の色の変化の再検証を求めて東京高裁へ差し戻した。ひで子さんがクリスマスプレゼントと表現したのは、最高裁の差し戻しの決定のことだった。長すぎる審理を経て、「袴田事件」に関する争点がほぼここに集約されていると言っていい「5点の衣類」とは何か。

 静岡県警は1967年9月初め、「8月31日に麻袋に入った5点の衣類が味噌タンクから発見された」と発表した。袴田さんの逮捕は1966年8月18日だから、それから1年以上も経過してのことだった。この時すでに静岡地裁で裁判は進んでいたが、当初、警察が「犯行時の衣類」としていた「パジャマ」は血痕などの証拠が弱く、検察は窮地に陥っていた。そこで「新証拠が見つかった」として突然、犯行時の衣類を、この「5点の衣類(ズボン、ステテコ、半袖シャツ、スポーツシャツ、緑のブリーフ)」に冒頭陳述を変更した。

 犯行から1年も経てば、衣類の血痕が黒ずんでいるはずなのに、警察が裁判所に証拠提出した写真では、血痕は赤いままだった。さらに言えば、衣類の発見場所とされた味噌タンクなど、事件の直後、警察が徹底的に調べていたはずだ。

裁判長が「捏造の可能性」と明言

 逮捕・拘留されている袴田さんが「5点の衣類」を発見間近に樽に入れられるはずはなく、警察関係者が味噌樽に投入した可能性が高い。県警の捏造はこれだけではないが、再審開始を決定した静岡地裁の村山浩昭裁判長は、明確に「捜査機関による捏造の疑い」と指摘している。

 一般に裁判官は、「捏造」「でっち上げ」などという穏やかでない言葉をまず使わない。冤罪事件といえば、2003年の「志布志事件」は、鹿児島県警の刑事らによる一からの「でっち上げの選挙違反」だった。鹿児島地裁の谷敏行裁判長は、「中山被告(信一・県議)が同窓会を抜け出し、買収会合で現金を配って会に戻るのは、時間的に不可能」と自ら車で現場検証して立証したことから、被告全員に無罪判決を下した。それでも「捏造」とか「でっち上げ」とは言わなかった(詳細は拙著『警察の犯罪』[ワック]など)。その意味でも裁判官までが「捏造」とした「袴田事件」は、冤罪事件の中でも極めて稀有な例と言える。

「免田事件」「財田川事件」など、死刑囚が生還した1980年代の4つの有名な再審無罪でも見られなかった「袴田事件」での無辜の民を絞首台に送らんとした捜査機関の恐るべき「捏造冤罪」について、現在、東京高裁の再審請求審(ここでは即時抗告審)で再審の可否をめぐり、裁判所、弁護団、検察の「三者協議」が続く。

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