日用品の会社から「空気ビジネス総合企業」へ――鈴木貴子(エステー代表執行役社長)【佐藤優の頂上対決】
消臭剤や防虫剤の分野で大きなシェアを持つエステー。その日用品メーカーに高単価・高付加価値路線を導入して成功させたのが、欧州のラグジュアリーブランド出身の女性社長だ。創業一族でもある彼女が、世界を見据えて期待をかける次なる事業「未来型エアケア」とは何か。
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佐藤 上場企業で代表権のある女性社長の割合は1%ほどです。創業者一族とはいえ、鈴木社長の経歴を拝見すると、ここまで着実にステップアップを重ねてこられたように見えます。
鈴木 いえいえ、そんなことはありません。もともと父から、この会社には絶対いれないと言われてきましたし、3人姉妹の末っ子でもあるので、ある意味、気楽に、自由に、自分の好きな道を歩んで参りました。
佐藤 私と鈴木社長はほぼ同世代です。私は1960年生まれで、1浪して大学に入って大学院まで行ったので、社会に出たのは85年です。鈴木社長が上智大学の外国語学部イスパニア語学科から日産自動車に入られたのは、84年ですね。
鈴木 はい、そうです。
佐藤 当時は男女雇用機会均等法が施行される前ですから、女性が一生バリバリ働ける場所は少なかった。だから私と同じ外務省の専門職員の半数は女性だったんです。男性と同じ条件で語学の勉強ができますし、外国にも派遣されますから。鈴木社長はどうして日産を選ばれたのですか。
鈴木 最初の会社は典型的な日本の大企業にしようと思っていたんです。2社目にそうしたところに入るのは難しいので。
佐藤 初めから長くいるつもりはなく、戦略的に選んだのですね。
鈴木 学科指定で日産から募集が来ていましたから、応募すればかなり高い確率で入れました。だから、まずはその大きな会社で社会人としての基礎を学んで、それから自分の好きな世界に行こうと考えたんですね。
佐藤 それはどんな世界なのですか。
鈴木 私はずっと自分の暮らしを心豊かにすることにとても興味があったんですね。豊かではなく、「心豊か」にする。
佐藤 具体的にはどういうことでしょう?
鈴木 私は幼い頃から、暮らしの中のささいなことが気になってしかたなかったんです。例えば、家の竹垣の一部が腐ってきたら、父がプラスチックの竹もどきみたいなもので直してしまったんですよ。でも、どうして自然の素材にしないんだろうと、それにすごく抵抗を覚えた。
佐藤 そういうところによく気がつく子供だったんですね。
鈴木 あるいは、私はアルミのサッシが嫌いだったんです。どうして昔の木枠にビードロみたいなガラスをはめたものじゃいけないのか。そうしたところに不思議な嫌悪感を抱いていた。
佐藤 なるほど、それが原点にある。
鈴木 直すならこの材料の方がいいんじゃないかとか、こういう素材でまとめたほうが気持ちがいいとか、そんなことから始まって、ある時、私が求めているのは、心豊かに暮らすことだと気がついたんです。それで、じゃあ、仕事もお客様の暮らしを心豊かにすることにしようと思ったんですよ。
佐藤 それは車ではなかったわけですね。
鈴木 自分にとって車の価値はいまひとつピンときませんでしたし、日産で自分が考えてきたことを生かせるとも思わなかった。もともと長くいるつもりはありませんでしたから、6年で辞めて、フランスの化粧品会社に移りました。そして、その後はイタリアのラグジュアリーブランドやルイ・ヴィトンジャパングループなどでマーケティングやPRの担当をしてきました。
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