【ブックハンティング】サリンジャーの壮大な「企み」に挑んだ、文学探偵コンビの名推理
名探偵、みなを集めて「さて」といい。ミステリー小説でありがちな場面をめぐるそんな言葉があるが、J・D・サリンジャーの愛読者なら『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』の前に集まったほうがいい。著者の竹内康浩と朴舜起が探偵コンビとなり、この作家の「バナナフィッシュにうってつけの日」に関し意外な真相を語ってくれる。それを皮切りにサリンジャーによるサーガ(物語群)の世界全体の見え方を変えてしまうのだ。
「バナナフィッシュにうってつけの日」は、短編集『ナイン・ストーリーズ』の最初に収められた有名な作品である。夫のシーモア・グラスとともに休暇でホテル滞在中のミュリエルに母から電話がくる。夫の精神状態を母は心配しているらしい。続いて、彼がビーチでバナナフィッシュという妙な魚について幼女と話す場面になる。その後、部屋に帰った男が頭を拳銃で撃ち、物語は終わる。
ミステリーに倒叙ものと呼ばれるスタイルがある。犯人の視点から動機や犯行計画と実行を記してから、探偵役が登場し事件の真相を明かすのだ。殺人の決定的場面が序盤で描かれるとはいえ、現場で起きた真実を探偵役がどこから見破るかという意外性がある。作品によっては、読者は犯人を知っていたはずなのに探偵役の推理で思いこみを覆されることもある。それをやっているのが本書だ。
「バナナフィッシュにうってつけの日」の場合、計画性は感じられないがシーモアの自殺と読めるし、妻の母が懸念した彼の精神状態が理由と思える。彼の唐突な死に関しては、過去に様々な文学的解釈がされてきた。それに対し本書は、この短編とサリンジャーが以後に書き続けたグラス家サーガを読み解き、自殺だったのか、死んだのはシーモアなのか、別の可能性を指摘するのだ。小説の記述を丹念に分析した推理には説得力がある。
ミステリー的興味を引く内容なのでネタバラシはせず、目次の見出しに書かれた範囲で紹介しよう。著者たちは死んだのは「どちらか問題」がサーガを貫いていることを発見し、サリンジャーの代表作『ライ麦畑でつかまえて』にも「入れ替わり」のテーマがあったことを読みとる。議論の過程で重視するのは、禅だ。『ナイン・ストーリーズ』冒頭には、「二つの手による拍手の音を私たちは知っている。しかし、一つの手による拍手の音とは何か」と問う禅の公案が掲げられており、この両手(二つ)と片手(一つ)の関係が読解の鍵になる。さらにサリンジャーの弓術や芭蕉への関心も論じ、小説に盛りこまれた哲学的思索に分け入っていく。隠れた答えを探すミステリー的推理と、表現の多義性を考察する文学的解釈が、どちらも成立している。驚いてしまう批評書だ。