分断されても分裂はしないアメリカを解剖する――阿川尚之(慶應義塾大学名誉教授) 【佐藤優の頂上対決】

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 誰もが強く自己を主張しバラバラでありながらも、何かことがあれば一つにまとまるアメリカ。トランプ大統領以降、「分断」が叫ばれているが、果たしてそれは正鵠を得た指摘なのか。9・11同時多発テロから20年、アフガニスタンから撤退するに至った超大国の内在的論理を解き明かす。

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佐藤 阿川先生と私は、外務省で働いたことがあり、且つ二人ともいま同志社大学で教えていますが、もう一つ、共通点があります。それはミッキー安川氏の『ふうらい坊留学記』の解説を書いていることです。

阿川 そうでしたか。

佐藤 阿川先生は中公文庫の解説をお書きになり、それが書店から消えた後、私は復刊ドットコムのオンデマンド本で解説を書いています。

阿川 私はジョン万次郎から現代まで、各時代のアメリカ留学記を読みましたが、安川さんの本には誰も知らなかったアメリカが書かれています。

佐藤 1950年代初めに単身渡米し、オハイオ州のシンシナティ大学に入学するも英語力不足で休学、日本で知り合った米兵の実家を訪ねてテネシー州の田舎町に行き、そこに居候しながら、まずは小学校から通い始めるという破天荒な話です。

阿川 その町では、有力者が総出で迎えてくれますね。牧場でミルクを搾り、森で薪にする木を伐り、日曜日は教会へ馬車で向かう。

佐藤 そこに出てくるのは、エリートが集まる東海岸・西海岸のアメリカとは異質なアメリカです。

阿川 私は何度もアメリカ各地を訪問しましたが、住んだのはワシントンDC、バージニア州、ニューヨーク市だけです。バージニアはジェファーソン創立の州立大学があるシャーロッツビルにいましたが、そこから西へ進み、山を越えるとケンタッキー州、そのすぐ南にテネシー州がある。シャーロッツビルの町を出るだけで英語がまるで異なる。ああ、違うアメリカだ、と思いましたね。

佐藤 外務省時代、私は各国の情報機関と付き合いがありましたが、普通は自分の身分を隠します。ところが外交官がカバー(偽装)だったテキサス出身のインテリジェンス・オフィサーは「俺はテキサスの秀才でね、冒険好きで聡明な人材を求むという募集に2千人の中から選抜されたんだ」と自慢話を始めるんですよ。

阿川 テキサスは広いし、他にないユニークな州です。テキサスとカリフォルニアの間には、ウクライナとロシアの間より、大きな差異があるかもしれない。近年テキサスにはカリフォルニアから人や企業が流入していますが、テキサス人に言わせると「みんな、亡命してくる」。

佐藤 テキサスはもともとメキシコですしね。

阿川 アメリカは決して一つではない。それが小田実(まこと)、石原慎太郎、大江健三郎といった反米知識人にはわかっていなかった。白人の国としか捉えていない。白人といっても東部のインテリと南部の労働者では全く違う。ミッキーさんは、知識人が見てこなかったアメリカを描いている。

佐藤 地域によってまったく違うアメリカがある。いまの言葉で言えば、多様性です。ただ、そのバラバラのアメリカが一つにまとまると怖い。

阿川 9・11同時多発テロ事件から20年経ちましたが、あの時も一つになったアメリカは強いし、怖いとも思いましたね。

佐藤 9・11の時は、アメリカにいらしたんですよね。

阿川 はい、2001年の9月は、6日からサンフランシスコで読売新聞社主催の「講和条約調印50周年記念日米シンポジウム」に参加し、それを終えて、集中講義を担当していたシャーロッツビルに戻りました。11日早朝、外務省から頼まれていたニューヨークのユダヤ人団体での講演をするためにワシントンへ飛び、ターミナル内を移動してニューヨーク行きの飛行機に乗り換えた。扉が閉まりゲートから離れる直前に、「全員降りろ」との指示。まさにその時、テロが進行していたんですね。

佐藤 まだ米国の日本大使館公使になられる前でしたか。

阿川 前です。あの時はショックと悲しみ、そして怒りで、アメリカ国民の感情が昂(たかぶ)り、国が一つになった。今となっては説明しにくい、異常な雰囲気でした。アフガニスタンの民主化など、ずっと後の話です。

佐藤 徳川慶喜の孫で、旧鳥取藩池田家の池田徳真(のりざね)という人がいます。もとは旧約聖書の研究家でしたが、戦時中に外務省で「日の丸アワー」という対米謀略放送を担当するんです。その彼が『プロパガンダ戦史』という回想録を書いています。そこで各国のプロパガンダの手法を分類していますが、アメリカには基本的に対外プロパガンダという発想がなく、国内をいかにまとめるかにしか関心がないと言っている。

阿川 国内を一つにまとめれば、とてつもない力を発揮しますからね。本来アメリカには「国内」しかないんですよ。州と州の関係が国内であり同時に国際なんです。アラスカやハワイのように、どんなに遠くても州であれば、国内の話。ただしその外には安易に出ていかないのが、ヨーロッパ列強との関係に苦労した建国の祖たちの遺訓です。海を越えて軍隊を外国へ出すには、よほどの理由が必要なんです。世界中に軍を展開した戦後50年間は例外でした。アフガン・イラク戦争で懲りたアメリカ人は、今建国の祖の遺訓を、しみじみ思い出しているのでしょう。

佐藤 同志社の名誉教授の森浩一先生は、アメリカには世界史がない、と言っていましたね。すべてはアメリカ史に収斂(しゅうれん)してしまうと。これはソ連も同じで、世界史はソ連史に吸収されていくという考え方です。

阿川 ノルウェーの小さな港で、ミネソタ州から来たアメリカ人に会ったことがあります。祖母がノルウェー出身で、その港を見て、ミネソタの故郷の湾にそっくりだ、祖母が話してくれた通りだと喜んでいました。彼女の家族の歴史は、ノルウェーに直接つながっているんです。

佐藤 自身のアイデンティティの問題が世界につながっている。

阿川 ユダヤ系、トルコ系、ロシア系、もちろん日系も同じですよ。

佐藤 しかもそこにあるのは、混じり合って複合化したアイデンティティです。

阿川 だからアメリカという言葉で括っても、それでは捉えきれないアメリカがたくさんあるんですね。

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