大谷翔平の幼なじみ、恩師が明かす原点 異常なほどの負けず嫌い…ピッチングはいまひとつだった?
お年玉を返金
そういう面もあるから、周囲に可愛がられた――と語るのである。
「こうした大谷選手を形作ったひとつに、家庭環境があると思います」
とは、岩手出身のスポーツライターで、『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』の著者・佐々木亨氏である。
大谷は両親と兄、姉の5人家族。父・徹さんは社会人野球で選手経験があり、母・加代子さんもバドミントンでインターハイへの出場経験を持つスポーツ一家だ。
「大谷選手が生まれた時、名前の候補に『義経』があったとか。源義経ゆかりの地・平泉が近いですからね。結局、義経のイメージにちなんで『翔』、『平泉』から『平』を取り、翔平となった。お父さんは『義経』にするのは恐れ多かったと笑っていらっしゃいましたが、名前の通り、世界に飛び立つ存在になりましたね」
そんな大谷家の子育ての特徴は、
「“叱らない”こと。お父さんによれば大谷選手を叱ったのは、小学校に入る前後、ハリー・ポッターのノートが汚れたと泣き叫んだ時くらいだとか。でも、そのことを大谷選手に聞いてみても覚えていなかったほど。その上で子どもの自主性を尊重する。本人は“野球をやれ”とか“勉強をしなさい”と言われたことは記憶にないそうです」
どの親もやろうと思ってできないことである。
「加えて家族に温かさがある。大谷選手は実家の2階に部屋を与えられてはいましたが、家が1階のリビングを通らないと2階に行けない作りになっていたのと、テレビがひとつしかなかったため、結局、家族5人がリビングにいることが多かったとか。また、ご両親は、夫婦喧嘩を子どもの前ではしない、ということも意識されていたそうです」
大谷は物欲に乏しいことで有名。日本ハム時代、給料を母にすべて預け、月10万円の小遣いをもらっていたものの、ほとんど遣わないので、2年間で200万円以上の貯金ができたという話は知られている。
「子どもの頃からお年玉をもらっても、遣い道がなければ、預かっておいて、とご両親に返したとか。服装にもこだわりがなく、野球以外には無頓着だった。エンゼルスに行ったのも、自らの成長を求めた結果で、お金のためではありませんでしたよね」(同)
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