「斎藤佑樹」が引退 田中将大に三戦全敗…プロ11年間の“苦闘”のベストピッチは?
「これが4年間の差かな」
球宴初登板は7月22日の第1戦。当初は7回からリリーフの予定だったが、2番手・武田勝(日本ハム)が炎上し、5回1死から緊急登板となった。
「準備時間が短く、緊張ですごく張りつめていた」という斎藤は、2死を取った直後、連続長短打で一、三塁のピンチを招くが、マートン(阪神)をフォークで遊ゴロに打ち取り、6回も無失点で切り抜けた。
さらに第3戦でも6回からリリーフし、村田修一(横浜)をスライダーで空振り三振に切って取るなど、9球で三者凡退。この日は田中将大(楽天)が先発して勝利投手になっており、高校時代のライバル同士が全パの完封リレーに貢献したという意味でも記憶に残る試合だった。
その田中と夢のプロ初対決が実現したのが、同年9月10日の楽天戦だ。斎藤は初回に連打と山崎武司の犠飛で1点を失ったが、2回以降を無失点に抑える。だが、0対1の6回2死二塁から3連続タイムリーを浴びたのが致命的となる。
7回から立ち直り、プロ初完投を記録したものの、1対4の完敗……。斎藤は「三振を取る力の差を感じた。これが4年間の差かな」と12奪三振完投のライバルに脱帽しつつも、「野球での差を埋めるために努力していく価値が見いだせた」と雪辱を誓った。両者の対決は、翌12年4月13日と7月13日にも実現しているが、いずれも田中に軍配が上がっている。
“ノーヒットノーコン”と揶揄
プロ2年目も、斎藤は前半戦でめざましい活躍を見せた。12年3月30日の開幕戦、西武戦では、栗山英樹監督が「背水の陣」と銘打った大抜擢で、開幕投手に指名され、見事4安打1失点完投勝利。「今は持っているんじゃなくて、背負ってます」とエース・ダルビッシュ有が抜けたあとの投手陣の柱を目指す決意を表明した。
その後も4月20日のオリックス戦でプロ初完封、6月6日の広島戦でも8回1失点で“バースデー勝利”を挙げるなど、順調にエースへの階段を上りはじめたように見えたが、誕生日のシーズン5勝目を最後に勝てなくなり、相次ぐ故障とともに野球人生も暗転していく。
13年以降は9年間でわずか4勝。17年5月31日のロッテ戦で最後の勝利を挙げたものの、オープナーとして再生を期した18年4月7日のロッテ戦では、4回2死まで無安打も、8四死球の大乱調で“ノーヒットノーコン”と揶揄されるなど、苦闘の連続だった。
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