松井秀喜はプロでも4打席連続四球…シーズン終盤「醜い敬遠騒動」の顛末
「あのときのほうが悔しいですよ」
高校時代、夏の甲子園の明徳義塾戦で5打席連続敬遠に泣いた巨人・松井秀喜が、再び因縁の敬遠攻めを味わったのが、96年10月8日の中日戦だ。中日・山崎武司に1本差の38本塁打でシーズン最終戦を迎えた松井は、1打席でも多く回るよう、プロ初の1番ライトで出場した。
巨人・長嶋茂雄監督の「正々堂々と勝負を」の呼びかけに対し、中日・星野仙一監督は「ワシは敬遠しろとも勝負しろとも何の指示も出さんよ」と答えたが、「2人一緒に獲ってしまったら、どうせ注目されるのは松井。僕が獲ったことなんか、世間から忘れられちゃいますよ」と、単独のホームランキングにこだわる山崎の心情も理解していた。
野口茂樹と矢野輝弘の中日バッテリーも「武司も頑張ってきた。どうせなら2人より1人のほうがいいに決まっている」(矢野)と、1回の第1打席からすべてバットの届かない外角に投げつづけた。
7回2死無走者での4打席目も当然のように勝負せず。右翼席の巨人ファンがグラウンドにメガホンなどを投げ入れ、試合が中断するひと幕もあったが、松井は4打席連続四球に終わり、タイトルを逃した。
試合後、松井は「ものの見事にやられたけど、しょうがない。タイトルを獲れなかったのは悔しいけど、今回は優勝できたから、あのとき(明徳戦)のほうが悔しいですよ」と大人のコメント。
一方、星野監督は「同じ130試合の勝負。逆なら勝負しないだろ? 批判を受ける覚えはまったくないよ」と力説したが、「“闘将”の名にふさわしくない行為」と非難する声があったのも事実。タイトル争いは、選手以上に、監督の悩める胸中が浮き彫りになるケースが多いようだ。
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