「死」が再び近づいてきた時代の「死生観」を問う

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  昔、死は人々の隣にあった。兄弟姉妹の数は多いが、そのうち数人は死んでいた。近所のおじさんは突然亡くなり、戦中は家庭に不幸があるのは当たり前だった。が、今はちがう。医療の発達により人は簡単に死ぬことは許されず、さらに、「死」はあってはならないものと人の目から隠されるようになった。ところが、コロナ禍がそれを少しだけ変えた。先月まで元気そうにしていたお馴染みのタレントが急死し、テレビでは「人の死」を毎日のように報じるようになった。「死」がまた私たちに近づいてきたのである。そんな時、必要なことは、死ぬまでの覚悟――死生観であると佐伯氏は説く。佐伯氏の考える「死生観」とはどのようなものか、著書『死にかた論』より一部抜粋・再構成してお届けする。

もどきの死生観

 「生」を無条件に賞揚し、「死」を排除する近代社会に「死生観」が希薄だとすれば、近代以前はどうだったのであろうか。あるいは、こういってもよい。近代社会を切り開いたものは啓蒙主義や人間中心主義、理性主義などの西洋思想である。日本もとりわけ明治以降、この西洋近代思想を取り入れるのに全精力を傾けた。昭和のあの大戦の敗北後は、また改めて、西洋、とりわけアメリカ的価値を積極的に導入しようとした。では、西洋の近代主義的思想の外皮を一度、剥がしてみればどうなるのか。「伝統」というものが何を意味するのかという詮索はひとまず置いておこう。それでも、西洋近代とは異なった思考伝統が前近代の日本にはあったはずだ。この「伝統的」な日本の価値観からすれば、「生」と「死」はどのように捉えられていたのだろうか。

「死生観」とは、生と死についての意味づけである。それはまた、「死に方」でもある。言い換えれば、「生」と「死」の「間」といってよいだろう。生から死へと移りゆくその間をどのように埋めるか、という問題が「死に方」であるが、この「生と死の間」という問いはかなり大事なものだと思う。死生観とは、ただただ生と死についての意識というだけではなく、この「間」についての観念でもあるからだ。

 現代における、病院のベッドに括り付けられた終末期も今日の「生と死の間」である。生きているのでもなく死んでいるのでもないような状態である。かつてなら、たとえば「姨捨山」というような「間」があった。これも想像するだけでもぞっとするが、今日では終末期の施設が体のよい「姨捨山」になっている。あるいは、昔は、即身仏というのもあったし、また、飢餓状態に追い込んでの自死もあった。だが、姨捨も即身仏も今日ではまずありえないし、餓死も容易ではない。

 いずれも人はいきなり生から死へとジャンプするわけではない。いままであったものがいきなりなくなるわけではない。生きて活動している「有」と、死んで消えてしまった「無」の「間」があるのだ。死んでしまえば、死後の世界(あの世)はともかく、「この世」にはいない。としても、この「生」と「死」の、「有」と「無」の境界あるいは「間」をどう理解するのか、死生観とは実にそこにかかっている。

 そしてこのような「間」においてわれわれはほとんど思考を停止した。死生観が定まらないのも当然であろう。現代の死生観の無力は、繰り返すが、西洋近代社会の価値観の帰結によるところが大きいのである。われわれはせいぜい「死は無視し、生の充実と幸福追求だけが問題だ」といういわば「死生観もどき」で満足するほかない。

 だが、この現代風の「もどき」の死生観ではないもう少しはましな死生観をわれわれ日本人はもちえないのであろうか。明治以降に積極的に受け入れ、戦後はほとんど全面的にわれわれの思考の準拠となったアメリカニズムという極端な近代主義とは異なった死生観を探ることはできないのか。医学という科学の展開と医療という技術の進歩にすべてを委ねるという近代主義の「死に方」とは異なった考えはないのだろうか。日本文化や日本思想には、「死の無視と生の充足」というあまりに均衡を逸した近代的価値とは違った死生観があったのではないだろうか。これが本書で論じてみたかった事柄である。

深層に生死一如

 私がここで多少しつこくこだわったのは日本の仏教思想であった。実は、これほど本書で仏教思想に重心を置くつもりはなかった。考え、書いているうちに容易には抜け出ることができなくなったというのが正直なところであるが、それだけ興味深いものが仏教にはある、ということでもあろう。

 この場合に意義深いのは、仏教ほど、西洋近代主義とは異質な思想はまれであり、ほとんど裏返しとでもいいたくなるほどだ、ということである。しかも、日本仏教には、西洋とは異なったいかにも「日本」的な思考が張り巡らされているからである。それは、西洋近代社会の価値観とは対極にある。だから、死生観を論じる上で、仏教思想はただ近代主義を相対化するだけではなく、西洋とは異なった日本の文脈に伏在する価値観へとわれわれを誘うことになるからである。ここでわれわれは、日本的な価値の源泉とはいかなるものなのかへと関心を向けざるをえなくなるであろう。

 改めて振り返っておけば、日本仏教の死生観とは次のようなものであった。覚りの立場にたてば(つまり、真理に於いて述べれば)、生死一如、生死不二であって、生も死も同じである。それを区別する必要はない。なぜなら、生はたまたま五蘊が仮和合してある形をとったに過ぎず、それはいずれ消滅する。一切は空であり無である。この「真如」からみれば、生も死も同じことである。すべては「無」から生み出され、また「無」へと帰還してゆくだけである。

 ところが、仏教の死生観はそれだけでない。それは他方で、山川草木など自然も含めて万物は仏性をもつ、という。したがって、生きようが死のうが仏性は残る。そして、この仏性は、伝統的な日本の死生観がもっていた霊魂や魂や「いのち(生命)」の観念と共鳴しあうであろう。仏性は、ほとんど「魂(たましい)」や「いのち」(たとえば「仏のたましい」や「仏のいのち」など)へといいかえられてゆき、いかにも日本的な死生観へとたどり着く。永遠の「魂(たましい)」や「いのち(生命)」からすると、生も死も区別はない。その意味でも生死一如である。死して後も、われわれは、永遠の魂としてとどまり、あるいは、別のいのちへと移行する。仏教が伝統的な日本思想と習合するなかで、こういう考えが生み出されてくる。

 一切が空無である、というにせよ、あるいは、永遠の「仏性」(または、「魂」や「いのち」)を想定するにせよ、仏教の根本的な死生観は、生死一如、生死不二、不生不滅であって、「生」と「死」の決定的な区別を避ける。むろん、その「間」もない。いや、あるとすれば、その「間」は空無であるがゆえに、両者は隙間なくくっついてしまう。

 これは覚りの境地であった。真如においてであった。すると迷いの世界であるこの「現実」の実相は違っている。「現実」には、生・老・病・死がある。「生」と「死」の間に「老」と「病」がある。人は生に執着し、死を厭う。老と病は苦しい。そこに煩悩が生じる。その煩悩から解放され、静寂な境地を求めて修行に励んだり、隠遁したりする。「生」と「死」の間に修行や隠遁を挟み込んで、少しでも覚りに近づこうとする。

 もちろん、覚りなど簡単に得られるものではなかろう。本当の意味での覚りは、何世にもわたって、気の遠くなるような時間の修行によってようやく達成される、というのが仏教の教えるところであった。むろん、そんなことは不可能で、いまそんな本格的な話をしているわけではない。そうではなく、多少なりとも、生への執着と死への恐怖を取り去り、生死へのこだわりから脱却し、生死一如の方へと接近し、死を前にして心の安寧をえればよい、という程度の話である。

 そういう「程度の話である」といったものの、実際にはそれも難しい。となれば、現実世界の生死の無常を知り、人知・人力の及ばぬ何ものかが、この現実を、人の生死に働きかけていると知ることとなろう。それを、「縁起の理」といおうが、「自(じ)然(ねん)法(ほう)爾(に)」といおうが、あるいは「根源的な生命のはたらき」といおうが、いずれにせよ、われわれの生死は、それを何かに預けるほかない、というような思考がでてくるであろう。思いのままにならないもの、人間の意思ではどうにもならないものについては、現実をそのものとして受けとめるほかない。こういう精神的態度である。覚りの世界と現実世界は決してまったく同一になるわけではないが、しかし同じものの双面であった。

 とすれば、「現実世界」の相で生きているわれわれは、この現実のなかにいながら、多少なりとも覚りに接近し、覚りの世界をのぞき込むことはできるだろう。生死一如という境地を遠望するぐらいはできよう。その遠望から現実に戻ってきたときに、どのような「生き方」と「死に方」をするかは人によって違っていよう。極端な言い方をすれば、「何でもあり」なのである。ただし、それも、覚りの世界を遠望しようとする限りにおいてである。生への執着、死への恐怖、老・病への嫌悪のうちにあってなお生死一如を遠望するということである。

 こういう二重構造が日本の死生観にはあったのではなかろうか。それはまた、日本の思想が、基本的にこの「現実」を「二相同体」において捉えてきた、ということである。超越的絶対者に対して、その被造物である人や世界を対置するキリスト教には、このような「二相同体性」は薄いであろうし、人間の理性を特権化して世界と対峙させる西洋近代思想にもこの考えはなじまない。だが、われわれの深層心理には、現実のこの世界を「二相同体」とみる思考習慣が静かに脈々と流れ続けているように思われる。

「生も死もあるがままでいいじゃないか」という言い方には、一方ではなげやりのニヒリズムの香りがただようが、良質な意味でいえば、やはり生死一如がこの深層にはある。特に自死においては、様々な理由はあるにせよ、最終的には、生も死も根本的には何ら違いはない、といった生死一如の境地へとどうしても接近してゆくのではなかろうか。川端康成(1899~1972)は、ほとんど買い物にいって帰るというような日常的行為のままに自死をとげたともいわれるが、どこか生死一如的な意識がなければ不可能なのではなかろうか。

 自死に限らずとも、現代のわれわれにあって、死へ向かう覚悟のうちには、どこか生死不二を遠望するところがあるようにも思われる。この遠望には、人間が限られた生命体である限り、それは生命的自然に服するほかない、という一種の諦念も含まれているであろう。と同時に、この諦念は、死によってはるかかなたのより大きな、宇宙的とでもいいたくなる永遠のなかに生命を回復する、といった安堵に満ちた楽観をも孕んでいる。どちらに立つにせよ、結局、生も死も同じなのである。

佐伯啓思(さえき・けいし) 1949(昭和24)年、奈良県生まれ。社会思想家。京都大学名誉教授。京都大学こころの未来研究センター特任教授。東京大学経済学部卒。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。2007年正論大賞。『隠された思考』(サントリー学芸賞)『反・幸福論』『さらば、資本主義』『反・民主主義論』『経済成長主義への訣別』『死と生』『近代の虚妄』『死にかた論』など著作多数。雑誌「ひらく」を監修。

佐伯啓思
1949(昭和24)年、奈良県生まれ。社会思想家。京都大学名誉教授。京都大学こころの未来研究センター特任教授。東京大学経済学部卒。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。2007年正論大賞。『隠された思考』(サントリー学芸賞)『反・幸福論』『さらば、資本主義』『反・民主主義論』『経済成長主義への訣別』『死と生』『近代の虚妄』『死にかた論』など著作多数。雑誌「ひらく」を監修。

Foresight 2021年10月15日掲載

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