「サクラ印ハチミツ」が“発がん性疑惑農薬”混入を隠蔽 発覚の背景に「先妻の息子」と「後妻の息子」の遺恨裁判
お家騒動の原点
現在、加藤美蜂園本舗の社長を務めているのは加藤禮次郎氏(70)。氏の父親、加藤重一(しげいち)氏が同社を創業したのは1947年である。
「重一さんの父親は戦前に中国に渡って牧場経営で成功していたのですが、戦後、日本に引き揚げて始めたのがハチミツの事業でした。これがもとになって、重一さんが会社を創業したわけです」
そう振り返るのは、同社の株主の一人。
「現在、日本で消費されるハチミツの90%以上は輸入に頼っています。輸入が始まったのは63年頃。それまでは重一さんと、重一さんの先妻の息子である信一郎さん(79)が国内で生産したハチミツで商売をしていました。しかしそれでは需要に追い付かず、どうしようかと考えている時に海外では多く生産されているという話を聞き、当時の通産省と交渉して輸入の自由化を取り付けたのです」
海外から原料を輸入して国内で瓶詰めする。今でいう新たな「ビジネスモデル」の構築に成功した同社は今でも「輸入ハチミツのパイオニア」と呼ばれているという。
「60年代末には中国から輸入するスキームができて、80年代には日本の輸入ハチミツの9割は中国産が占めるようになりました。ただ、ここ10年くらいで中国産の安全性に関する議論が出てきたこともあり、現在は7割くらいです。中国に次いで多いのがアルゼンチン、その次がカナダです」(同)
創業以来、代表取締役社長を務めてきた重一氏が代表取締役会長となったのは01年のこと。
「同時に信一郎さんが代表取締役社長になりました。また、先妻と死別した重一さんの後妻の息子である禮次郎さんが代表取締役副社長に。そして07年に重一さんが亡くなると、信一郎さんと禮次郎さんの二人が代表取締役を務める体制となりました。ただ、その頃から二人の仲は悪かったので、会社の経営を巡る話がまとまらなくなってしまいました」(同)
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