引退表明の斎藤佑樹、11年も生き残れた本当の理由 庇護者となった栗山監督の存在が

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宣伝効果と“庇護者”の存在

 18年以降は1軍での白星もなく、早々に「戦力外通告」を受けていても不思議ではなかった斎藤。その背景には「ドラフト時、日ハム側が入団拒否を避けるため、斎藤自ら“やめる”というまでクビにしないとの密約があると囁かれた」(スポーツ紙デスク)とも。

 一方、日ハム関係者はこう反論する。

「入団が決まると関連グッズはバカ売れし、その人気は斎藤が結婚を発表する19年末頃まで続いた。宣伝効果も含めれば、球団にとって彼は無視できるものでなかった。放出しなかったもう一つの理由は栗山英樹監督の存在。“佑ちゃんフィーバー”の際、当時キャスターとして間近で斎藤の苦労を見てきた監督は、プロ2年目に彼を中心にした投手陣を組み立てようとしたが失敗。それでも庇護者となって斎藤を守り続けた」

 引退発表の翌日、母親のしづ子さんにも話を伺った。

「(成績が上がらない時期など)本人もいろいろと思うところはあったと思いますが、弱音などは一切吐かない子でした。“お疲れさま”の言葉しかありません」

 早くも「『熱闘甲子園』のキャスターに起用したい」(テレ朝関係者)との声や、「早実の監督に」といった話も出ているが、第二の人生にご多幸はあるか。

週刊新潮 2021年10月14日号掲載

ワイド特集「星屑のステージ」より

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