引退表明の斎藤佑樹、11年も生き残れた本当の理由 庇護者となった栗山監督の存在が
一世を風靡した「時代の寵児」が表舞台から去ることを決めた。その歩んできた道程は苦難の多いものだったが、それでも彼がプロの世界を“サバイブ”できたのには理由があるという。
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10月1日、日本ハムの斎藤佑樹投手(33)が今季限りでの現役引退を表明した。
スポーツジャーナリストの二宮清純氏の話。
「高校・大学時代に投手としてフル回転した“蓄積疲労”がプロでの成長を阻んだ。肩や肘の故障に苦しんだのも無関係ではないでしょう。この“負債”がなければ、プロで100勝程度の白星を挙げる力はあったと思っています」
プロ1年目に6勝を挙げ、翌年に開幕投手も務めた斎藤だが、その後はケガに悩まされ低迷。そんな彼には一度、トレードの話が浮上したことがあったという。
「プロ入りして4~5年目の時でした。“再起を図るには環境を変えるのも一つの方法”として、トレードが模索された。当時、交換先の候補として挙がったのがヤクルト。斎藤が大学時代に活躍した神宮球場が本拠地でもあり、成就の可能性はあったが結局、立ち消えになった」(球団関係者)
2006年夏の甲子園の決勝再試合。マー君(田中将大投手)との死闘を制し、“ハンカチ王子”ブームは社会現象に。その後、早実から早大へと進み、10年にドラフト1位で日ハムに入団。プロ11年での通算成績は15勝26敗だ。
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