文科省の“教科書改悪”に一石を投じた出版社が 学習指導要領に沿わない“小説収録”の教科書を販売

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論理と文学を分ける矛盾

「論理・実用」と「文学」を安易に分けることが根本的に問題であるのは言うまでもない。「区分け」の傾向は高校2年生以降でも顕著で、「論理国語」「文学国語」「古典探究」「国語表現」から選択することになっている。

「『論理』と『文学』を分けるという発想が非常に強くあることが分かります。しかし、それは本当に対立する概念なのかというとそうではないわけで、ここにも矛盾が生じているのです」(同)

 そして、こうした「区分け」により、

「文学作品を読み込む時間が今よりも短くなるのは間違いない」(同)

 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授の阿部公彦氏は、

「実用的な言葉が使えない生徒が増えているから何とかしなければならない、といわれていますが、実用文を山のように読ませればできるようになるのでしょうか。部分的に取り入れるのは構いませんが、そればかりやらせても意味がない。言語学習は効率を求める世界ではないと思います」

 として、こう語る。

「文学における言葉には、さまざまな働きや効果、面白さなど、我々には計り知れないエネルギーのようなものがある。そうしたことを体験したり、体験を通して知ったり、知ったことを実践するのが非常に重要。こうした言葉の不思議な働き方を体験する入り口に連れて行ってくれるのが国語教育の大事な要素のはずです」

 教育評論家の石井昌浩氏が言う。

「そもそも“分ける”というのが非常に形式的な発想です。そうした形式的な枠組みに縛られるのではなく、むしろ、教材にはもっともっと幅があってもいいのではないかと思います。小説というジャンルの中でも、本当に多様性があります。それを選択するのは生徒たちであって、最初から排除するというのは、学問として成り立つのかと疑ってしまいます」

 さらに、小説を読むことの重要性をこう説く。

「多様な小説を読むことによって、表現力や幅広い考え方が身に付きます。優れた思想形成にも繋がる貴重な機会で、豊かさの象徴のようなものです。また、小説を読む行為を通して、他の人生を生きることも可能になる。中には社会から“はみ出した”ような人生もあるでしょうが、それもそれとして理解する許容力のようなものも、子供たちの成長には必要なのではないでしょうか」

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