「横浜出身」って言っちゃいけないの? ふかわりょうが思う「地名のイメージ」
ライフスタイルまで伝わる「軽井沢」の響き
地名ではありますが、軽井沢も湘南と似た性質があります。出身はと尋ねられたら「長野」と答えるかもしれませんが、別荘はと聞かれたら、「軽井沢」と言うでしょう。それだけで、ライフスタイルや普段口にしているお肉の質まで伝わってしまう力が「軽井沢」にはあります。長野県北佐久郡軽井沢町。最近は、アウトレットなどのショッピング・モールのイメージもありますが、やはり別荘地、避暑地。耳に入ってくるだけで、高原の涼しい風が漂います。
もともと1886年にカナダ出身の宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー氏がこの地を訪れ、美しい自然と気候に心を奪われたのが、避暑地「軽井沢」の始まりといわれています。カナダ人というのが腑に落ちます。その数年後、旧軽井沢に簡素な別荘を建てると、他の宣教師もあとを追うように別荘を建て、1893年に、日本人所有の最初の別荘が建てられました。このような背景から、当時はキリスト教色の強い街となり、町づくり精神にも影響を与えます。別荘が一般的に普及するのはやはり戦後。人々の暮らしが豊かになり、個人の別荘や会社の保養地として利用されるようになります。軽井沢万平ホテルの創業は1894年。1970年に初めて宿泊したジョン・レノンは、故郷のリヴァプールに似た雰囲気を気に入り、76年から79年まで毎年、このホテルのアルプス館で夏を過ごしていたのは有名な話。
高原の爽やかな風を感じさせる「清里」
別荘地でいうと、「清里」もそう。北杜市高根町と言っても、地元の人ではない限りピンとこないでしょうし、「山梨」と「清里」では、イメージする空の色が異なります。清里って山梨なんだと、今知った方も少なくないのではないでしょうか。
清里は八ヶ岳の麓に広がる高原リゾートですが、もともとは生活に適さない不毛の地。ダムに沈む町から28戸の開拓民が移住したのが1938年。当時は熊笹だらけの荒野で、栽培できる作物は極めて少数でした。そこへ訓練キャンプとして清泉寮を建てたアメリカ人宣教師ポール・ラッシュが、厳しく劣悪な環境を目の当たりにし、地元の人々と交流をはかります。戦後、米国式の酪農や高地農業を教え、住民たちの暮らしが豊かに。そこに、観光業振興の追い風もあり、70~80年代に多くの人々が押し寄せるようになると、ペンションはもちろん、原宿さながらのタレントショップやファンシー・ショップが軒を連ね、「清里ブーム」と呼ばれるほどの繁栄を見せます。しかし、バブルが弾け、現在は新たな時代の節目を迎えている清里。そんなことに想いを馳せながら口にする清泉寮のソフトクリームは格別です。最近の若者たちがどのような印象を持っているかわかりませんが、私からすると、「軽井沢」「清里」「蓼科」は、耳にするだけで、高原の爽やかな風がそよぐのです。
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