デビュー39年「原田知世」の変わらぬ本質 椎名桔平、角川春樹氏もそこに惹かれた
変わらない内面
原田は健康と美容に熱心らしく、30代からヨガを始めたという。腸活がブームになる前から乳酸菌飲料を摂り、水素水も飲み、シミの素になる紫外線も浴びないよう注意している。
アンチエイジング対策は万全らしい。だが、それは外観の問題だ。原田の少女性の源泉は内面にある。生き馬の目を抜く世界とも称される芸能界で長く過ごしながら、どうして大きく変わらずに済んだのだのだろう。
理由の1つはおそらく芸能人という自覚が良い意味で薄いからだ。
原田は長崎市内に住む中学3年生だった1982年、角川映画の新人オーディションを受けた。主催者側の目的は真田広之(60)が主演した映画「伊賀忍法帖」の相手役を探すことだったものの、原田の目的は単純に真田と会いたいだけだった。
「どうしても女優になりたいという強い思いで上京したわけではなかったんですよね」(原田*1)。
その時の気持ちが今も残っているのだろう。例えば仕事を得るためには芸能プロダクションに所属したほうが圧倒的に有利なのに、所属先の「ショーン・ハラダ」はほぼ個人事務所で、ほかの在籍者は実姉の原田貴和子(56)だけ。芸能人仲間と遊び歩く姿が報じられたこともない。
角川映画のオーディションで原田に特別賞を与えた角川春樹氏(79)自身、実は原田を芸能界入りさせることを躊躇した。純粋無垢だった原田が芸能界入りによって変わってしまうことを恐れたためだ。「息子の嫁にしたいくらい」と言うほど惚れ込んでいた。
そこで角川氏は原田に1作だけ主演映画をプレゼントしようと考えた。それが「時をかける少女」である。監督は親しい故・大林宣彦氏に依頼した。制作費の約1億2000万円は角川氏のポケットマネーから出した。文字どおり1作限りのプレゼントのつもりだった。
その映画はタイムリープの能力を得た高校1年生の和子が、西暦2660年から現代に訪れた少年に恋をする物語。少年が未来へ帰る日、自分に関する記憶を和子から全て消そうとすると、「消さないで」と懇願する。切ない物語だった。
この映画は薬師丸ひろ子(57)が主演した「探偵物語」の併映作だった。つまり添え物。プレゼントなのだから。ところが、口コミで「凄い映画だ」という評判が瞬く間に広まり、1983年の「キネマ旬報」読者選出ベスト・テンで3位に入る。思想家の故・吉本隆明さんが「傑作」と評したことでも知られる。
角川氏はかつて筆者に対し、この映画について「知世の魅力がすべて入っている」と語った。さらに次の角川氏の一言が、現在も変わらぬ原田の本質に違いない。
「男がいつまでも持ち続ける純な部分を思い起こさせてくれる映画でもありました」(角川氏)
「映画」は「原田」にも置き換えられる。原田は昔も今も視聴者を純な気分にさせてくれる存在なのである。「あなたの番です」で演じた菜奈も「半分、青い」の和子もそうだった。酸いも甘いも噛み分けたはずの椎名桔平が、原田に惹かれた理由もここにあるのではないか。
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