「一人で待つのは嫌だから子どもを作りたい」 大阪の3歳児虐待死事件、母親が周囲を驚愕させた異常な発言

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面談・電話53回、家庭訪問38回

 桜利斗くんの母親は2018年10月、離婚を機に大阪府泉南市から摂津市内に転居。20歳だった。19年12月から大手生命保険会社で生保レディとして働き始める。

「研修期間中、1歳だった息子さんを連れて出社したことがあったのですが、ズボンの上からでも分かるほどオムツがパンパンに膨れ上がっていた。話を聞くと、頼れる実家がないとのことで、育児にまで手が回っていない印象だった」(生保会社関係者)

 しかし同社を今年5月に退社。理由を周囲に「彼(松原容疑者)の実家で一緒に暮らす」と話し、相手にゾッコンだった様子を隠そうともしなかったという。

 以降、松原容疑者の虐待が顕在化していくのは前述の通りだが、桜利斗くんが亡くなった当日、母親は外出中で不在。翌日に会った友人によると、「おりちゃんがお風呂場でやけどして……」と泣き崩れたそうだ。

「9月4日に桜利斗くんの葬儀があったのですが、松原はムスッとして押し黙ったままで、見かねた彼の実母が“あんた、最低やな”と詰め寄った。すると松原は“俺、もう無理や”と突然、桜利斗くんのお母さんにすがりついた。お骨を拾う時には、松原とお母さんが“恋人つなぎ”で手を握り合い、さらに皆を唖然とさせた」(参列者の一人)

 9月7日、桜利斗くん宅を見舞った複数の知人に対し、母親が“たっくんが捕まっても10年でも20年でも待ってる。でも一人で待つのは嫌だから子供をつくりたい”と言いだし、困惑させる一幕もあったという。

 その後、松原容疑者が帰宅し、知人らが改めて事の経緯を糺(ただ)すと“シャワーの温度を38度から60度にまで上げる遊びをやっていた”などと悪びれず釈明。

「今年4月、桜利斗くんの左頬に大きな平手の痕が残っていたので、母親に“どうしたの?”と尋ねると、“たっくんがやった”と。理由を聞くと、バリカンで桜利斗くんの髪を刈ってあげてた時、松原が“俺にもやらせて”と割って入った。すると桜利斗くんが嫌がったので“じっとしてろや”と頬を叩いたそうです。以前から顔をアザだらけにしたり、松原を怖がって私から離れようとしない姿を目にしていたので“これ以上は命に関わる”と6月、市に訴えた」(前出・知人)

 昨年1月と今年4月には桜利斗くんの通う保育園が“顔にコブがある”として、今年5月には母親も“交際相手が子供を叩く”と、摂津市の家庭児童相談課に通報していた。しかし行政が動くことはなかった。

 市側の責任者である摂津市教委・次世代育成部の橋本英樹部長に理由を尋ねると、力なくこう語った。

「桜利斗くんの家庭にはこれまで面談や電話での接触を53回、家庭訪問を38回行っていましたが、こうした事態に至ったことは本当に申し訳なく思っています。今後は体制等を見直し、再発防止に努めていきたい」

 それだけ接触を重ねていたなら、なぜ「緊急性」を感知できなかったのか。

 虐待問題に詳しい家族問題カウンセラーの山脇由貴子氏はこう指摘する。

「何度も通告があったということは、それだけ保護するチャンスがあったということ。短期間で虐待が再発・継続していたことが容易に窺える状況であった点を考えると、行政側の不作為の責任は大きい」

 犠牲になるのは幼い命だ。突き付けられた教訓は重い。

週刊新潮 2021年10月7日号掲載

特集「大阪摂津『幼児虐待死』は救えた命 『20年でも彼の出所を待つ』恋人つなぎでお骨拾い『幼き母』と『熱湯カレシ』の異様」より

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