大工さんから球宴出場も…ドラフト「最下位指名」から大化けしたスゴい選手たち
いよいよ10月11日にドラフト会議が開催される。風間球打(ノースアジア大明桜)、隅田知一郎(西日本工大)などの目玉候補が、どの球団に指名されるか注目されるが、プロで成功するのは、必ずしも上位指名選手とは限らない。過去には“最下位指名”からスターになった選手もいた。そんなスカウト冥利に尽きる大化け選手たちはどんな野球人生を歩んだのだろうか。
草野球でノーヒットノーラン
ドラフト史上初の「現役大工」という異色の経歴で話題を呼んだのが、1991年のダイエー10位・田畑一也である。全指名選手92人の大トリでもあり、“正真正銘の最下位指名”だった。高岡第一時代はエースとして夏の県大会4強入り。社会人の北陸銀行でも野球を続けたが、3年目に右肘を痛めて退職。この時点で野球を一度あきらめていた。
だが、実家の工務店で大工として働きながら、草野球でノーヒットノーランを何度も記録するうち、再び野球への情熱が高まり、ドラフト直前にダイエーの入団テストを受験。見事合格をかち取った。
本来なら「元北陸銀行」と紹介されるところなのだが、「実家の両親を喜ばせてあげよう」という球団側の厚意により、所属は「田畑建工」になった。
「誰からも立派なプロと言われるよう頑張りたい」と誓った田畑は、ヤクルト移籍1年目の96年に12勝を挙げ、オールスター初出場。翌年にも自己最多の15勝を記録し、チームの日本一に貢献した。
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