日本人初の金メダリスト「織田幹雄」のストイックさに見る「スポーツ選手の理想像」の変化(小林信也)

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賞品は日本刀

 織田の時代、金メダルを獲っても報奨金などはない。プロでもない。織田は早稲田を卒業後、朝日新聞の記者になり、健筆を振るった。著書『金メダル』に綴られた次の心理構造が興味深い。

〈一九二八年秋、日仏対抗陸上競技が行なわれた。これは、日本で初めての国際対抗なので、賞品には、日本刀やかぶとなどもあった。(中略)走幅跳の競技になって、五回目までリードしていた私が、南部忠平君の最後の一跳で抜かれてしまった。私は、南部君を抜き返そうとがんばったら、脚にけいれんが起こって倒れてしまった。

 後で、南部君に負けて、日本刀を失ったくやしさではなく、つまらぬ野心をもった天罰だったと後悔し、暗い気持になってしまった〉

 翌日、織田は、出場すれば優勝できるだろう三段跳びを「脚が悪いから」と棄権した。本当は出場できる体調だったが、日本刀という賞品目当てに出たがっている自分を許せなかったためだと告白している。

 金メダル第一号のレジェンドは「日本刀」に心を揺らした自分の未熟と邪心を責めた。

 1億円を手にした現代の金メダリストは、宝物をタクシーに忘れ、それがまた話題となって愛されキャラになったりする。スポーツ選手に期待する社会の理想像は、織田の時代と大きく変化している。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

2021年9月30日号掲載

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